最上壽之
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最上 壽之(もがみ ひさゆき、1936年3月3日[2][3] - 2018年10月2日[2])は、日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授[2]。
来歴
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神奈川県横須賀市に生まれる[2]。1960年東京芸術大学彫刻科卒[2]。在学中は石井鶴三に師事した[2]。1981年に武蔵野美術大学の教授となり、2005年に定年退職、名誉教授となった[2]。
1992年に横須賀市平和都市モニュメントを制作[4]。木を媒介とした抽象的な作風が特徴とされる[要出典]。
受賞
[編集]- 1968年 第4回長岡現代美術館賞展[要出典]
- 1973年 第1回〜第3回まで連続して箱根 彫刻の森美術館大賞受賞[要出典]
- 1975年 第4回平櫛田中賞[2][6]
- 1976年 第5回神戸須磨離宮公園現代彫刻展 兵庫県立近代美術館賞[2]
- 1977年 第7回現代日本彫刻展 毎日新聞社賞[2]
- 1979年 第8回現代日本彫刻展 東京都美術館賞[2]
- 1980年 第7回神戸須磨離宮公園現代彫刻展 朝日新聞社賞[2]
- 1981年 第12回中原悌二郎賞優秀賞[2][6]
- 1983年 第10回現代日本彫刻展 土方定一記念特別賞[2](第12回、第15回でも同賞受賞)
- 1984年 第12回長野市野外彫刻賞[要出典]
- 1986年 みなとみらい21彫刻展優秀賞[2]
- 1990年 第12回神戸須磨離宮公園現代彫刻展 優秀賞[2]
- 1994年 第14回神戸須磨離宮公園現代彫刻展 佳作賞[2]
- 2001年 紫綬褒章[2][7]
- 2009年 旭日小綬章[8]
代表作品
[編集]主な彫刻作品の設置場所
[編集]- 「イキハ・ヨイヨイ・カエリハ・コワイ」(1976年) - 兵庫県立美術館 原田の森ギャラリー屋外(兵庫県神戸市灘区原田通3)
- 「イッテ・ミヨウヨ・アノヨマデ」(1977年) - 山口県宇部市・ときわ公園東・梅園付近[11]
- 「ポカポカオヒサマテルホドニ」(1983年) - 山口県宇部市・宇部駅前[12]
- 「モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー」(1994年) - 横浜みなとみらい地区・ヨーヨー広場(ランドマークプラザとクイーンズスクエアの中間地点)
脚注
[編集]- ^ 横浜市内に謎のオブジェが多いのはなぜ?(はまれぽ.com 2010年11月1日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “最上壽之 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2023年4月28日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「最上寿之」の解説(コトバンク)
- ^ “市長メッセージ(平和モニュメント点灯式にあたって)(2021年4月19日)”. 横須賀市. 2023年4月28日閲覧。
- ^ 彫刻家の最上寿之さん死去 みなとみらい21の作品など(朝日新聞デジタル 2018年10月6日)
- ^ a b “コドモ ドコマデモ コドモ 最上壽之展 | 美術館”. 武蔵野美術大学 美術館 (2018年8月16日). 2023年4月28日閲覧。
- ^ 「秋の褒章783人 女性は126人で過去最高 山本富士子さんら紫綬褒章」『読売新聞』2001年11月2日朝刊
- ^ 「秋の叙勲 92人に栄誉=静岡」『読売新聞』2009年11月3日朝刊
- ^ 日本彫刻の近代|出品目録(宮城県美術館、2007年開催)
- ^ いわき市立美術館年報 平成23年度 (PDF) (いわき市立美術館:年報)
- ^ “[ID:21494] イッテ・ミヨウヨ・アノヨマデ : 資料情報 | 彫刻データベース(山口県宇部市) | UBE BIENNALE”. UBE BIENNALE - 彫刻データベース(山口県宇部市). 2024年9月1日閲覧。
- ^ “[ID:21522] ポカポカオヒサマテルホドニ : 資料情報 | 彫刻データベース(山口県宇部市) | UBE BIENNALE”. UBE BIENNALE - 彫刻データベース(山口県宇部市). 2024年9月1日閲覧。