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最首悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最首 悟
(さいしゅ さとる)
人物情報
生誕 1936年[1]
福島県生まれ。[1]
学問
活動地域 千葉県育ち。[1]
研究分野 生物学社会学
研究機関 東京大学教養学部、和光大学人間関係学部[1]
特筆すべき概念 生命論いのちろん
主要な作品生あるものは皆この海に染まり』(1984年)
明日もまた今日のごとく』(1988年)
水俣の海底から』(1991年)
半生(はんなま)の思想』(1991年)
星子が居る』(1998年)
影響を受けた人物 茅野寛志[1]シモーヌ・ヴェイユ[要曖昧さ回避]
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最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉 - )は、日本の生物学者社会学者、社会・思想評論家思想家和光大学名誉教授。

全共闘活動家。和光大学人間関係学部教授環境哲学)、人間関係学部学部長を経て名誉教授[1][2]。ほか駿台予備学校論文科講師[3]NPOオルタナティブ大学であるシューレ大学アドバイザーを務める[4]

神奈川県横浜市在住[2]。(※2020年1月現在)

略歴

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福島県生まれ、千葉県育ち[1]。国民学校では病気で3年の長期欠席を経験している[5]

1959年(昭和34年) 千葉県立国府台高等学校を経て[5]東京大学理科1類入学。1960年(昭和35年) ブント同盟員になるも「1日ブント」と呼ばれる[6]1962年(昭和37年) 大学管理法反対闘争参加。

1963年(昭和38年) 理学部生物学科動物学専攻)卒業。東京大学大学院理学系研究科 に進学するが、「カンヅメ行動」により停学処分。1965年(昭和40年) 「ベトナム反戦会議」結成に参加。1967年(昭和42年) 東京大学大学院理学系研究科動物学専攻博士課程中退。

1967年(昭和42年)から1994年(平成6年) 東京大学教養学部助手を27年間務める[2]。その間の1968年(昭和43年) 「東大助手共闘会議」結成に参加。1969年(昭和44年) 「東大安田講堂事件」で逮捕。

1997年(平成9年) 障害者作業所「カプカプ」(横浜市旭区)運営委員長[7]

2001年(平成13年) 恵泉女学園大学人間環境学科特任教授。[要出典]2002年(平成14年) 和光大学人間関係学部人間関係学科教授。

2007年(平成19年) 和光大学名誉教授。

2018年(平成30年) 駿台創立100周年功労者表彰[3]

著書

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大学受験参考書

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  • 『お医者さんになろう 医学部への小論文』駿台文庫〈駿台受験シリーズ〉、2001年12月。ISBN 978-4-7961-1571-1 
  • 勝田耕史大原正幸船岡富有子 共著『お医者さんになろう 医学部への英語』駿台文庫〈駿台受験シリーズ〉、2002年10月。ISBN 978-4-7961-1047-1 
  • 駿台予備学校 編『大学入試完全攻略シリーズ 東京大学 理科 後期日程』駿台文庫、年次版。  など - 通称、青本。総合科目Iの「出題分析と合格作戦」「解答・解説」執筆。

評論集

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単著

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共著・編著・共編著

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寄稿論文・関連記事など

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 蔵田計成. “最首悟”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年5月26日閲覧。
  2. ^ a b c 「人あっての社会」障害の娘から学んだ 元全共闘の教授:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年2月2日閲覧。
  3. ^ a b 駿台創立100周年表彰者(功労者)からのメッセージ”. 学校法人駿河台学園. 2021年2月2日閲覧。
  4. ^ 最首さんと「紀要構想検討会」 | シューレ大学 Shure University”. 2021年2月2日閲覧。
  5. ^ a b #03 最首悟さん”. 不登校50年証言プロジェクト. 2021年2月2日閲覧。
  6. ^ 中核VS革マル(上) 57ページ 立花隆
  7. ^ YOKOHAMA, LOCAL GOOD. “「障害福祉」から世界を変える「カプカプの作り方」出版プロジェクト”. 「障害福祉」から世界を変える「カプカプの作り方」出版プロジェクト. 2021年2月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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