最首悟
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1936年[1] 福島県生まれ。[1] |
学問 | |
活動地域 | 千葉県育ち。[1] |
研究分野 | 生物学、社会学 |
研究機関 | 東京大学教養学部、和光大学人間関係学部[1] |
特筆すべき概念 |
|
主要な作品 |
『生あるものは皆この海に染まり』(1984年) 『明日もまた今日のごとく』(1988年) 『水俣の海底から』(1991年) 『半生(はんなま)の思想』(1991年) 『星子が居る』(1998年) |
影響を受けた人物 | 茅野寛志[1]シモーヌ・ヴェイユ[要曖昧さ回避] |
最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉 - )は、日本の生物学者、社会学者、社会・思想評論家、思想家。和光大学名誉教授。
元全共闘活動家。和光大学人間関係学部教授(環境哲学)、人間関係学部学部長を経て名誉教授[1][2]。ほか駿台予備学校論文科講師[3]。NPOのオルタナティブ大学であるシューレ大学アドバイザーを務める[4]。
略歴
[編集]福島県生まれ、千葉県育ち[1]。国民学校では病気で3年の長期欠席を経験している[5]。
1959年(昭和34年) 千葉県立国府台高等学校を経て[5]東京大学理科1類入学。1960年(昭和35年) ブント同盟員になるも「1日ブント」と呼ばれる[6]。1962年(昭和37年) 大学管理法反対闘争参加。
1963年(昭和38年) 理学部生物学科(動物学専攻)卒業。東京大学大学院理学系研究科 に進学するが、「カンヅメ行動」により停学処分。1965年(昭和40年) 「ベトナム反戦会議」結成に参加。1967年(昭和42年) 東京大学大学院理学系研究科動物学専攻博士課程中退。
1967年(昭和42年)から1994年(平成6年) 東京大学教養学部助手を27年間務める[2]。その間の1968年(昭和43年) 「東大助手共闘会議」結成に参加。1969年(昭和44年) 「東大安田講堂事件」で逮捕。
1997年(平成9年) 障害者作業所「カプカプ」(横浜市旭区)運営委員長[7]。
2001年(平成13年) 恵泉女学園大学人間環境学科特任教授。[要出典]2002年(平成14年) 和光大学人間関係学部人間関係学科教授。
2007年(平成19年) 和光大学名誉教授。
2018年(平成30年) 駿台創立100周年功労者表彰[3]
著書
[編集]大学受験参考書
[編集]- 『お医者さんになろう 医学部への小論文』駿台文庫〈駿台受験シリーズ〉、2001年12月。ISBN 978-4-7961-1571-1。
- 勝田耕史、大原正幸・船岡富有子 共著『お医者さんになろう 医学部への英語』駿台文庫〈駿台受験シリーズ〉、2002年10月。ISBN 978-4-7961-1047-1。
- 駿台予備学校 編『大学入試完全攻略シリーズ 東京大学 理科 後期日程』駿台文庫、年次版。 など - 通称、青本。総合科目Iの「出題分析と合格作戦」「解答・解説」執筆。
評論集
[編集]単著
[編集]- 『生あるものは皆この海に染まり』新曜社、1984年11月。
- 『明日もまた今日のごとく』どうぶつ社〈自然誌選書〉、1988年4月。ISBN 4-88622-241-2。
- 『水俣の海底から 「終われない水俣展」講演集』京都・水俣病を告発する会、1991年5月。
- 『半生の思想』河合文化教育研究所〈河合ブックレット 21〉、1991年9月。ISBN 4-87999-920-2。 - 解説:大門卓。
- 『星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』世織書房、1998年5月。ISBN 4-906388-65-5。
- 『「痞(ひ)」という病いからの 水俣誌々 パート2』どうぶつ社、2010年3月。ISBN 978-4-88622-343-2。
共著・編著・共編著
[編集]- 最首悟 編『山本義隆潜行記』講談社、1969年。
- 最首悟 編『出月私記 浜元二徳語り』新曜社〈水俣=語りつぎ 3〉、1989年9月。
- 最首悟、盛口, 襄、山口, 幸 編『理科を変える、学校が変わる 総合学習の創造 ハードパスからソフトパスへ』七つ森書館、2001年12月。ISBN 4-8228-0150-0。
- 丹波博紀 共編 編『水俣五〇年 ひろがる「水俣」の思い』作品社、2007年12月。ISBN 978-4-86182-165-3。
寄稿論文・関連記事など
[編集]- 最首悟、小野田襄二 著「黒田寛一」、現代の眼編集部 編『戦後思想家論』現代評論社、1971年。 - 『現代の眼』1970年8月号の特集「戦後とは何かー思想家論による試み」を中心にまとめたもの。
- 色川大吉 編『水俣の啓示 不知火海総合調査報告』 上、筑摩書房、1983年3月。
- 「不知火海漁業の移り変わりー芦北郡女島の巾着網漁について」
- 「市井論文への反論」
- 最首悟 著「孤立有援ともいうべき事態」、滝沢克己追悼記念論文集発行委員会 編『滝沢克己 人と思想』新教出版社、1986年6月。
- 最首悟「『ホントウとは何か』予備校で考える」『ザ・予備校』第三書館、1986年、200-205頁。
- 駿台教育研究所 編(編)「特集「教育変革と新しい予備校像」」『駿台フォーラム』第19号、駿河台学園駿台予備学校、2001年、ISSN 0289-5579。
- 「〈予備〉の持続と変容」
- 船岡富有子「医系英語論文マルチプレックスについて」
- 最首悟 著「ケアの淵源」、川本隆史 編『ケアの社会倫理学 医療・看護・介護・教育をつなぐ』有斐閣〈有斐閣選書〉、2005年8月。ISBN 4-641-28097-5。
- 最首悟 著「公害 問われた個人の倫理」、毎日新聞社 編『1968年に日本と世界で起こったこと』毎日新聞社、2009年6月。ISBN 978-4-620-31933-9。
- 高草木光一 編『「いのち」から現代世界を考える 連続講義』岩波書店、2009年6月。ISBN 978-4-00-022171-9。
- 最首悟 著「いのちへの作法」、山口研一郎 編著 編『生命(いのち) 人体リサイクル時代を迎えて』緑風出版、2010年12月。ISBN 978-4-8461-1014-7。
- 最首悟 述 著「「わからなさ」をもち続ける」、春原憲一郎 編著 編『わからないことは希望なのだ 新たな文化を切り拓く15人との対話』アルク、2010年1月。ISBN 978-4-7574-1839-4。
- 最首悟 述 著「東大闘争と学生運動」、高草木光一 編『一九六〇年代未来へつづく思想 連続講義』岩波書店、2011年2月。ISBN 978-4-00-023699-7。
- 最首悟「いのちはいのち」『石牟礼道子 魂の言葉、いのちの海』河出書房新社〈KAWADE道の手帖〉、2013年4月。ISBN 978-4-309-74049-2。
- 高草木光一 編『思想としての「医学概論」 いま「いのち」とどう向き合うか』佐藤純一・山口研一郎・最首悟 執筆、岩波書店、2013年2月。ISBN 978-4-00-025878-4。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 蔵田計成. “最首悟”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク). 2019年5月26日閲覧。
- ^ a b c “「人あっての社会」障害の娘から学んだ 元全共闘の教授:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年2月2日閲覧。
- ^ a b “駿台創立100周年表彰者(功労者)からのメッセージ”. 学校法人駿河台学園. 2021年2月2日閲覧。
- ^ “最首さんと「紀要構想検討会」 | シューレ大学 Shure University”. 2021年2月2日閲覧。
- ^ a b “#03 最首悟さん”. 不登校50年証言プロジェクト. 2021年2月2日閲覧。
- ^ 中核VS革マル(上) 57ページ 立花隆
- ^ YOKOHAMA, LOCAL GOOD. “「障害福祉」から世界を変える「カプカプの作り方」出版プロジェクト”. 「障害福祉」から世界を変える「カプカプの作り方」出版プロジェクト. 2021年2月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 最首塾 on the web
- 『最首悟』 - コトバンク
- 最首塾 - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
- “和光大学 - 学科紹介 - 人間関係学科の教員紹介 - 最首 悟 環境哲学教授”. 和光大学. 2004年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月27日閲覧。