月輪良忠
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 正安元年10月23日(1299年11月17日) |
官位 | 正三位、左中将 |
主君 | 後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇 |
氏族 | 藤原氏九条家庶流月輪家 |
父母 |
父:月輪良基 母:加賀権守白川行資王の娘 |
兄弟 | 良忠、良兼 |
子 | 忠基[1] |
月輪 良忠(つきのわ よしただ)は、鎌倉時代の公卿。非参議正三位右中将。父は従二位左中将月輪良基、母は加賀権守白川行資王[2]女。歌人として知られる内大臣九条基家の孫である。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。
- 建治3年(1277年)6月17日、叙爵。同年10月16日、侍従に任ぜられる。
- 弘安3年(1280年)1月5日、従五位上に昇叙。
- 弘安11年(1288年)1月5日、正五位下に昇叙。同年8月25日、右少将に任ぜられる。
- 正応3年(1290年)1月5日、従四位下に昇叙。
- 正応4年(1291年)12月21日、右中将に転任。
- 正応5年(1292年)3月30日、復任[3]。
- 正応6年(1293年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 永仁2年(1294年)3月27日、正四位下に昇叙。
- 永仁3年(1295年)1月28日、従三位に叙される。右中将は元の如し。
- 永仁5年(1297年)11月14日、正三位に昇叙。
- 正安元年(1299年)10月23日、薨去[4]。