月輪良基
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 嘉禎2年(1236年) |
死没 | 正応5年7月14日(1292年1月30日) |
官位 | 従二位、左中将 |
主君 | 四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇 |
氏族 | 藤原氏九条家庶流月輪家 |
父母 |
父:九条基家 母:修理大夫藤原基定の娘 |
兄弟 | 月輪経家、良基 |
妻 | 加賀権守白川行資王の娘 |
子 | 良忠、良兼 |
月輪 良基(つきのわ よしもと)は、鎌倉時代中期の公卿。非参議従二位左中将。父は歌人として知られる内大臣九条基家、母は従三位修理大夫藤原基定女。 兄経家が後嗣なく没したため、二男であった良基が父基家の最晩年に家を継いだ。兄経家が家嫡とみなされていたためか昇進が遅かった[1]。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。
- 文永2年(1265年)1月30日、従五位上に叙される。同年3月9日、侍従に任ぜられる。同年12月22日、右少将に任ぜられる。
- 文永3年(1266年)2月1日、紀伊権介を兼ねる。同年3月2日、正五位下に昇叙。
- 文永4年(1267年)11月8日、左中将に昇任。
- 文永6年(1269年)1月5日、従四位下に昇叙。同月7日、左中将は元の如し。
- 文永7年(1270年)1月21日、美作介を兼ねる。
- 文永8年(1271年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 文永11年(1274年)7月25日、正四位下に昇叙。
- 建治3年(1276年)1月29日、従三位に叙される。同日、左中将は元の如し。同年12月26日、復任[2]
- 弘安元年(1278年)2月8日、丹波権守を兼ねる。
- 弘安2年(1279年)1月9日、正三位に昇叙。
- 弘安3年(1280年)7月11日、父基家の喪に服す。同年12月26日、復任。
- 正応元年(1288年)閏5月8日、従二位に昇叙。
- 正応5年(1292年)1月10日、薨去。享年57。