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有賀城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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有賀城
長野県
別名 天狗山城
城郭構造 山城
天守構造 不明
主な城主 有賀氏
廃城年 不明
遺構 堀切曲輪
指定文化財 史跡等未指定[1]
登録文化財 史跡等未登録[1]
位置 北緯36度01分01.5秒 東経138度04分50.5秒 / 北緯36.017083度 東経138.080694度 / 36.017083; 138.080694 (有賀城)座標: 北緯36度01分01.5秒 東経138度04分50.5秒 / 北緯36.017083度 東経138.080694度 / 36.017083; 138.080694 (有賀城)
地図
有賀城の位置(長野県内)
有賀城
有賀城
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有賀城(あるがじょう)は、長野県諏訪市豊田有賀にあった日本の城山城)。別名・天狗山城承久年間(1219年-1222年)に有賀氏(あるがし)によって築かれた[2]。江音寺背後の裏山に築かれ、諏訪地方上伊那地方を結ぶ有賀峠への街道を押さえる位置にある。現在も有賀城跡として残っている。

概要

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不動尊のある廓は6メートル四方、主郭の背後には22メートルの堀切りで遮断し、大土塁が築かれており、主郭の内部を見通せない構造となっている。主郭は三方に土塁が残り、内部の広さは縦25メートル、横20メートルで、郭内には井戸跡があった。

副郭は主郭の北側の尾根の起点にあり、主郭より15メートル下に堀を隔ててあり、三方を土塁で囲んだ縦18メートル、横15メートルである。副郭から北下には、西側に削り残しの土塁を伴った三の郭、四の廓、五の廓と続き、その下は急傾斜となっている。

主郭から北東に下るもう一つの尾根筋には、直下に堀切りがあり、その両端を掘り下げて全面を固め、その堅堀に沿って小郭が残る。

脚注

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参考文献

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  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年

関連項目

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