有馬頼元
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有馬頼元像(篠山神社蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 承応3年2月25日(1654年4月12日) |
死没 | 宝永2年7月20日(1705年9月7日) |
改名 | 源四郎(幼名)、頼元 |
戒名 | 慈雲院殿忠巌道大居士 |
墓所 | 東京都渋谷区広尾の祥雲寺 |
官位 | 従四位下、中務大輔、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 筑後久留米藩主 |
氏族 | 摂津有馬氏 |
父母 |
父:有馬忠頼、母:神保氏・貞昌院 養父:有馬頼利 |
兄弟 | 長(稲葉景通室)、留理(山内豊定室)、頼利、頼元、妹(有馬重之室) |
妻 |
正室:松平綱隆の娘・玉蓮院 継室:広幡忠幸の娘・定姫(瑞竜院・徳川光友の養女) 側室:小野氏(徳寿院) |
子 | 頼旨、娘(越前松平基知正室)、娘(宗義方正室)、娘(酒井忠音正室)、娘(本庄資訓正室) |
有馬 頼元(ありま よりもと)は、筑後久留米藩の第4代藩主。久留米藩有馬家5代。
生涯
[編集]承応3年(1654年)2月25日、第2代藩主・有馬忠頼の次男として生まれる。寛文8年(1668年)に兄で第3代藩主であった有馬頼利が死去したため、その養子として家督を継ぎ、従四位下・中務大輔に叙位・任官される。このとき、父の養子で頼元の養弟に当たる有馬豊祐に1万石を分知して松崎藩を立藩させている。
藩政では、新田開発や治水工事に尽力した。しかし凶作や暴風雨が相次いで飢饉が連年のように起こり、藩の財政が悪化して家臣から上米を行なったり、元禄15年(1702年)からは年貢増徴を行なっている。元禄8年(1695年)に侍従に遷任された。
宝永2年(1705年)7月20日に死去した。享年52。跡を長男・頼旨が継いだ。
系譜
[編集]- 父:有馬忠頼(1603-1655)
- 母:貞昌院 - 神保氏
- 養父:有馬頼利(1652-1668)
- 正室:玉蓮院 - 松平綱隆の娘
- 継室:定姫、瑞竜院 - 徳川光友の娘、広幡忠幸の娘
- 側室:小野氏
- 側室:大野氏