朝倉重成
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延宝4年10月12日(1676年12月16日) |
改名 | 重宣、重成 |
別名 | 仁左衛門(通称) |
戒名 | 常照院 |
墓所 | 四谷の全勝寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川秀忠、家光、家綱 |
氏族 | 朝倉氏 |
父母 |
父:朝倉在重 母:越後長岡藩 牧野家家臣 牧野五郎兵衛の娘 |
兄弟 |
重成、牧野儀成室、兼松正尾室、 塚原十左衛門室、重興、重利、 松平忠行室、大生市左衛門室、 岡田庄九郎室、藤波伊兵衛室 |
妻 | 石清水八幡宮別当 善法寺幸清の娘 |
子 | 景宣、伊東祐信、永田重信、安部信直室、重次 |
朝倉 重成(あさくら しげなり)は、江戸時代前期の旗本。通称は仁左衛門。朝倉 重宣とも。
略歴
[編集]朝倉在重の長男として誕生。初名は重宣。
徳川秀忠に小姓膳番として仕え、寛永9年(1632年)小姓組となり200石を賜った。慶安3年(1650年)に父の在重が没すると家督(2千石)を継ぎ、それまでの200石は弟の重興に与えられた。 1653年、に肥後国熊本藩主細川六郎(のちの細川綱利)が幼少により、多賀常長と共に肥後国に赴任し、藩政を監督した。
明暦元年(1655年)徒頭となり、布衣を着ることを許された。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱の日光東照宮参拝に供をした。延宝2年(1674年)留守居番となった。
延宝4年(1676年)死去。墓所は四谷の全勝寺。法名は常照院。没後、家督は嫡男の景宣が継いだ。
系譜
[編集]- 父:朝倉在重(1583-1651)
- 母:越後長岡藩牧野家家臣 牧野五郎兵衛の娘
- 室:石清水八幡宮別当 善法寺幸清の娘