朝比奈元永
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時代 | 戦国時代末期 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永5年1月15日(1628年2月19日)[1] |
官位 | 右京亮[2] |
主君 | 今川氏真、武田信玄、勝頼、徳川家康、豊臣秀次、山内一豊、忠義 |
藩 | 土佐藩 小姓頭 |
氏族 | 朝比奈氏[3] |
父母 | 父:朝比奈信置[4] |
兄弟 | 信良、元永、宗利、真直、信清、信政、石川氏の妻、土屋円都の妻、山岡景長の妻[3][5] |
朝比奈 元永(あさひな もとなが)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。
略歴
[編集]今川氏・武田氏に仕えた駿河国の武将・朝比奈信置の次男[3][4]。天正8年(1580年)駿河へ侵出した徳川家康勢を当目山で撃退した時には、弟の宗利とともに自ら槍を取って戦っている[1]。天正10年(1582年)甲州征伐で父と兄が相次いで死亡したが、元永は駿河国内にいたために難を逃れ、家康に召し出されて井伊直政に附属させられた。しかし元永は不服だったために出奔し、浪人した[3][1]。
天下統一後に豊臣秀次に招かれて仕え、秀次の没後は諸将の元を渡り歩き、文禄・慶長の役にも従軍して功があったという。その後は掛川城主・山内一豊に仕え、一豊が土佐藩主となると1,000石を知行し、小姓頭を務めた。寛永5年(1628年)没[3][1]。