朝永徹一
表示
朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、サインデザイナー。都市計画や大型施設のサイン・ディスプレーのプロデュースを行っている。元女子美術大学短期大学部非常勤講師。
経歴
[編集]1964年、長崎市立長崎商業高等学校 時代、1年先輩の蛭子能収らと美術部で活動した。1965年、日本宣伝美術会西日本展で準入選となる[1]。
1968年、新宿の歌声喫茶「灯」[2] で、合唱歌集の楽譜・イラスト等グラフィック面から、舞台装置・照明に至るまで演出を担当する[3]。
1970年、日本万国博覧会においてテーマ館太陽の塔内部の展示計画(ディスプレイ)の一部を、また東京都の世界貿易センタービルのサイン計画を乃村工藝社所属で、それぞれ担当する。1971年に正式に乃村工藝社に入社し、インテリア部所属となる。ここで専門部署もなかった開拓期のサインから総合的なサインのアートディレクターとしての基盤を固めた。以後、乃村工藝社時代に下記の建築物でサイン計画を手がける(いずれも東京都内)。
- ホテルパシフィック東京 - 1971年
- 全国勤労青少年会館中野サンプラザ - 1973年
- 新宿住友ビルディング - 1974年
- サンシャイン60 - 1978年
- ホテルセンチュリーハイアット(現:ハイアットリージェンシー東京)- 1980年
1979年、株式会社テイ・グラバーを設立して代表取締役に就任する。社名は郷里長崎、幕末の日本で活躍した、スコットランド人、トーマス・ブレーク・グラバーの人間性豊かな自邸(グラバー邸:長崎グラバー園内、旧グラバー住宅)の構想に、エンバイロメンタルデザインの源流を観た想いから、命名した。
2013年、『サインの真価―施設に酸素を吹きこみ活性化するデザイン』(六耀社)を監修。
職歴
[編集]- サインデザイン実技(1981-2001)
- 環境造形論講義(2002-2013)
- 財団法人余暇開発センター
- 環境デザイン施設担当委員(1989-1998)
主な作品・受賞歴
[編集]- 1977年 西武百貨店サイン計画(日本ディスプレイデザイン協会 dd年賞 金賞)[4]
- 1981年 神戸中央市民病院(日本サインデザイン協会 準部門賞)[5]
- 1985年 長崎オランダ村サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)佳作)[6]
- 1986年
- 長崎バイオパークC.I.計画、サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)準SDA賞)[3][7][8][9]
- 長崎オランダ村 ウイレムスタッドサイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)SDA賞)[10]
- 1987年
- 長崎オランダ村 ホールンサイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)佳作)[10]
- KTエクセルビル サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)SDA賞)[11]
- 柏駅前通り商店街 カリヨンモニュメント(日本ディスプレイデザイン協会(DDA)dda年賞)[11]
- 1988年
- プラザ平安サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)佳作)[11]
- 長崎オランダ村 東京赤坂広告塔サイン計画(電通賞・日本サインデザイン協会(SDA)準SDA賞・日本産業デザイン振興会(JDP)会長賞)[11]
- 長崎オランダ村 ザーンス・スカンスサイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)佳作)[11]
- 神尾記念病院サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)奨励賞)[12][13]
- 1989年
- スパリゾートハワイアンズC.I.計画、サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)地域賞)[14][15][16]
- 岩鋳キャスティングワークスC.I.計画、サイン計画(日本空間デザイン協会(DSA)優秀賞・日本サインデザイン協会(SDA)奨励賞)[14][17][18]
- 1991年
- 1992年 東京デザインセンターサイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)奨励賞)[20][21][22]
- 1994年 新潟県立近代美術館サイン計画[新潟県](日本サインデザイン協会(SDA)優秀賞)[21][23]
- 2000年 渋谷マークシティサイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)奨励賞)[24][25]
- 2012年 京都嵐山温泉 花伝抄 サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)奨励賞)[26]
- 2012年 日本平ホテル サイン計画(日本空間デザイン協会(DSA)空間デザイン賞)[27][28]
- 2016年 御宿 野乃 境港(日本サインデザイン協会(SDA)中国地区日本サインデザイン賞)[29]
- 2017年 いにしえの宿 佳雲 ・お宿 月夜のうさぎ サイン計画(日本サインデザイン協会(SDA)中国地区日本サインデザイン賞[30]
著書・監修
[編集]- 日本建築学会編『建築設計資料集成』第10集 技術、サイン(共著)、丸善出版、1983年[31]
- 『コミュニケーション&エンバイロメントデザイン=Communication Environment Design』テイ・グラバー、1971年[32]
- 『サインの真価―施設に酸素を吹きこみ活性化するデザイン』六耀社(監修)、2013年
- [33]『建築東京』、「環境の中でのサイン」執筆、2022年。
脚注
[編集]- ^ 西日本新聞長崎県北版1965年5月7日朝刊、12面
- ^ 『ミュージック専科』2、1970年、株式会社明行社、128頁
- ^ a b 『Signs in Japan = サインズインジャパン』No.48、全日本屋外広告業団体連合会、50頁 - 61頁
- ^ 『年鑑日本のディスプレイ77』六耀社、182頁~185頁
- ^ 『美術・デザイン賞事典』1990年7月、日外アソシエーツ・紀伊國屋書店、275頁
- ^ 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン86』六耀社、230頁
- ^ 『ナガサキデザインニュースNDN』Vol.12 2014年11月15日号、長崎都市・景観研究所、表紙面、3面、4面
- ^ 『にっけいでざいん』1988年9月号、日経BP社、24~27頁
- ^ 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン88』六耀社、309頁、319頁
- ^ a b 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン87』六耀社、304頁
- ^ a b c d e 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン89』六耀社、327頁、332~333頁、339頁、346頁、385頁
- ^ 村越愛策(監修)、グラフィック社編集部(編集)『トータルランドスケープ&サイン』グラフィック社<トータルランドスケープデザイン・シリーズ>、2001年、140~141頁
- ^ 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン90』六耀社、348頁
- ^ a b 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン91』六耀社、361頁、378頁
- ^ 『商店建築』1990年5月号、商店建築社、283頁
- ^ 『商店建築』1990年7月号、商店建築社、198~203頁、314~315頁
- ^ 『日経アーキテクチャー』1990年8月号、日経BP社、202~203頁
- ^ 『商店建築』1990年10月号、商店建築社、238-241頁
- ^ a b 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン92』六耀社、360頁
- ^ 『年鑑日本のディスプレイ・商環境デザイン93』六耀社、426頁
- ^ a b 『ディティール』No.119、彰国社、48頁、55頁
- ^ 『Signs in Japan = サインズインジャパン』No.68、全日本屋外広告業団体連合会、34~39頁
- ^ 『年鑑日本の空間デザイン95』六耀社、658~660頁
- ^ 『年鑑日本の空間デザイン2001』六耀社、317頁
- ^ 社団法人日本サインデザイン協会(監修)『ベスト・サイン・ジャパン220』六耀社、2005年、173頁
- ^ 『年鑑日本の空間デザイン2013』六耀社、331頁、355頁
- ^ 『年鑑日本の空間デザイン2014』六耀社、348頁
- ^ 『建築画報』No.363、建築画報社、97頁、101頁
- ^ 日本サインデザイン賞2016 - 日本サインデザイン協会
- ^ 日本サインデザイン賞2017 - 日本サインデザイン協会
- ^ 『建築設計資料集成』第10集 技術 サイン(共著) 丸善出版、1983年、サインの章をサイン専門委員として129~131頁を執筆。※「建築設計資料集成の改定にあたって」10集担当エンジニアリング部員一覧に執筆頁記載
- ^ 『Communication Environment Design=コミュニケーション&エンバイロメントデザイン』テイ・グラバー自費出版、1991年
- ^ 『建築東京』、東京建築士会、2022年3月号、1~4頁を執筆
外部リンク
[編集]- ミュージック専科第2集 -当時のともしび伊藤レイ子主幹のコメント
- 太陽の塔オフィシャルサイト-万博記念公園
- 朝永徹一 - ジャパンデザイナーズ
- テイ・グラバー