朝見慶延
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時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 伊賀守 |
主君 | 北条氏邦 |
氏族 | 朝見氏 |
父母 | 朝見玄光 |
子 | 左馬助 |
経歴
[編集]上杉謙信勢の抑えとして武蔵国秩父郡根古屋城主を務めるが、元亀3年(1572年)副将の渡辺監物に城主を譲り、慶延は上野国勢多郡の城(場所不明)に移る[1][注釈 1]。天正18年(1590年)小田原征伐にて根古屋城は前田利家らによる攻撃を受け、北条氏邦が籠る鉢形城もろとも開城し、廃城となった。子の朝見左馬助は帰農し、秩父郡下日野沢村に土着。その後朝見家は代々同村の名主を務めた。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『鉢形北条家臣分限録』によると勢田にて1500貫知行とある。
出典
[編集]- ^ 『新編武蔵風土記稿』