木下十四三
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木下 十四三(きのした としさぶ、1876年(明治9年)3月20日[1][2] - 1942年(昭和17年)1月31日[2][注釈 1])は、明治末から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、佐賀県三養基郡北茂安村長。
経歴
[編集]佐賀県[3]養父郡東尾村(養父郡北茂安村、三養基郡北茂安村大字東尾[1][4]、北茂安町を経て現みやき町東尾)で、農業・木下七三、ナミの二男として生まれる[5]。1897年(明治30年)東京法学院(英吉利法律学校後身、現中央大学)を卒業した[2][3][4][5]。農業を営む[1][3]。
北茂安村長、所得税調査委員、三養基郡農会長、佐賀県農会副会長、佐賀県会議員などを務めた[2][3][4][5]。
1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙に佐賀県第3区から立憲政友会公認で出馬して当選し[2][5][6]、政友本党に所属し衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』205頁では5月18日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。