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木内義勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木内 義勝
(きうち よしかつ)
人物情報
生誕 1943年昭和18年)
日本の旗 日本
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都大学
学問
時代 昭和時代中期 -
活動地域 日本の旗 日本長野県松本市
研究分野 情報社会学
研究機関 日本の旗 日本株式会社CDI(コミュニケーションデザイン研究所)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ハワイイースト・ウエスト・センター
日本の旗 日本・エム・ケー・シー (MKC)
日本の旗 日本・松商学園短期大学
日本の旗 日本松本大学松商短期大学部
日本の旗 日本松本短期大学
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木内 義勝(きうち よしかつ、1943年昭和18年)[1] - )は、日本情報社会学研究者[2]松本短期大学学長[3]

経歴

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長野県松本深志高等学校を経て京都大学卒業[4]

1970年(昭和45年)に榊田喜四夫加藤秀俊川添登らにより設立された株式会社CDI(コミュニケーションデザイン研究所)で、初期の研究員のひとりとなる[5]

その後、1976年(昭和51年)から、ハワイイースト・ウエスト・センターに学んだ[6]

松本市を拠点とする情報関連企業であった株式会社エム・ケー・シー (MKC) (後のソラン株式会社の前身のひとつ)で役員を務めた後、2001年平成13年)に当時の松商学園短期大学教授となり、翌2002年(平成14年)の松本大学の開学にともない松本大学松商短期大学部教授となり[2]、後には学部長も務めた[7]

2016年(平成28年)3月、新年度からの松本短期大学学長に選出されたことが報じられ[3]4月1日に就任した[7]

趣味テニスであり[2]高校時代にはインターハイに出場しており[4]、後には松本テニス協会の副会長なども務めた[8]

おもな著書

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  • 環境と地域文化:農村における自然と人間のかかわり、学習院大学東洋文化研究所、1979年

脚注

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  1. ^ 2016年平成28年)3月の報道で72歳と紹介されている。
  2. ^ a b c 第1回 市民活動推進委員会 会議録(要旨)” (PDF). 松本市 (2008年11月12日). 2021年1月5日閲覧。 “(2)自己紹介...【木内委員】普段は松本大学松商短期大学部で情報社会論等を教えています。大学に入って8年目ですが、それまではMKC(現在のソラン)という企業で役員をやっていました。… 個人的にはテニスが好きで、教えたりもしています。”PDFファイル:60.2KB
  3. ^ a b “松本短大学長に木内氏を選任” (PHP). 信濃毎日新聞. (2016年3月3日). http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20160303/KT160302ATI090011000.php 2021年1月5日閲覧。  [リンク切れ]
  4. ^ a b 山本広子 (2016年3月16日). “夕暮れ城下町BLOG 松本短期大学 次期学長 木内義勝さん”. FMまつもと. 2021年1月5日閲覧。
  5. ^ 疋田正博 (2013年8月20日). “CDI小史”. 株式会社シィー・ディー・アイ. 2021年1月5日閲覧。
  6. ^ 木内義勝 (2003年6月30日). “会員短信(2000〜2002) 木内義勝(76年度)” (PDF). 日本イースト・ウエストセンター同友会ニューズレター (20): p. 5. http://yasuohoshino.com/ニューズレター20.pdf 2021年1月5日閲覧。 (PDFファイル:444KB)
  7. ^ a b 沿革”. 松本短期大学. 2021年1月5日閲覧。
  8. ^ 長野県50周年記念誌寄稿文書”. 松本テニス協会. 2021年1月5日閲覧。 [リンク切れ]

外部リンク

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学職
先代
塚田昌滋
松本短期大学学長
2016年 -
次代
(現職)