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木村正辞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 正辞
人物情報
別名 :埴満
:欟斎
生誕 清宮荘之助
文政10年4月6日 (1827-05-01) 1827年5月1日
日本の旗 日本下総国埴生郡成田村(現・千葉県成田市
死没 (1913-04-11) 1913年4月11日(85歳没)
日本の旗 日本
腎炎
国籍 日本の旗 日本
学問
時代 江戸時代末期・明治
研究分野 国学
研究機関 和学講談所
帝国大学文科大学
高等師範学校
国語調査委員会
学位 文学博士
主な業績万葉集』の研究
主要な作品 『万葉集美夫君志』
影響を受けた人物 伊能穎則
岡本保孝
主な受賞歴 正六位
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木村 正辞(きむら まさこと、1827年5月1日文政10年4月6日) - 1913年大正2年)4月11日)は、明治時代国学者国文学者。幼名は荘之助、は埴満(はにまろ)。

経歴

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下総国埴生郡成田村(現・千葉県成田市)生まれ。はじめ清宮荘之助。を欟斎。

伊能穎則に国学、岡本保孝音韻学を学び、和学講談所水戸藩駒込文庫に出仕する。維新後は史料編輯・大学大助教を皮切りに、神祇官太政官文部省司法省宮内省の諸官、帝国大学文科大学教授、高等師範学校教授を歴任した。

万葉集』を主として研究し、珍書の蔵書でも知られる。1890年東京学士会院会員(後に帝国学士院会員)。1901年文学博士を授与。1902年文部省国語調査委員会委員に任命された。

1913年、腎炎のため死去[1]

栄典

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著書

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  • 日本略史 文部省 1875.4
  • 日本史要 東京師範学校 1878.11
  • 国史案 文部省 1877-1879
  • 賜暇遊覧 博聞社 1888.7
  • 欟斎雑攷 博聞社 1888.12
  • 万葉集書目提要 大八洲学会 1888
  • 日本号の攷 大八洲学会 1889.6
  • 万葉集美夫君志 大八洲学会 1889.2
  • 播磨の浜づと 大八洲学会 1889
  • 万葉集訓義弁証 早稲田大学出版部 1904.12 のち勉誠社文庫
  • 万葉集字音弁証 早稲田大学出版部 1904.12 のち勉誠社文庫
  • 万葉集総釈 早稲田大学出版部 1904?
  • 万葉集古義存疑 1900-1904
  • 万葉歌百首講義 早稲田大学出版部 1926
  • 万葉集講話 大日本歌道奨励会 1935
  • 日本小作制度論 日本に於ける小作制度の本質究明 木村荘之助 叢文閣 1936

脚注

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  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)10頁
  2. ^ 『官報』第322号「叙任及辞令」1884年7月25日。

参考文献

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  • 昭和女子大学近代文学研究室編『近代文学研究叢書 第13巻』昭和女子大学光葉会、1959年7月
  • 小松英雄「木村正辞」臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣編『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年

外部リンク

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