木村清三郎
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木村 清三郎(きむら せいさぶろう、明治2年6月7日[1](1869年7月15日) – 昭和16年(1941年)2月16日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(立憲政友会→政友本党)、新潟県長岡市長。
経歴
[編集]越後国長岡出身。太田仁平次の六男として生まれて、木村小太郎の養子となった[3]。1900年(明治33年)、越佐新聞社を創設し、社長を務めた[3]。長岡米穀取引所監査役、同理事、同理事長、長岡証券株式会社監査役、同相談役、長岡商業会議所特別議員、同顧問などを務めた[3]。また長岡市会議員、同参事会員、新潟県会議員を歴任した[3]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後、1929年(昭和4年)に長岡市長に選出され、二期務めた。
親族
[編集]- 木村清司 - 長男。内務官僚。官選福井県知事。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。