木村重吉
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木村 重吉(きむら じゅうきち、1901年3月11日 - 1963年11月20日)は、日本の実業家で、西日本鉄道社長を務めた。
来歴・人物
[編集]福岡県飯塚市出身[1]。1923年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に九州電力の前身である九州水力電気に入社した[1]。のちに西日本鉄道の前身である九州電気軌道に転職し、九州電気軌道、井筒屋、福博電車の各常務と西鉄の副社長を務め、1951年11月に西鉄に社長に就任した[1]。西鉄クリッパーズが発足した時に初代球団社長に就任し、チームの育成に取り組んだ[2]。1960年に九州朝日放送社長に就任した[3]。
九州バス協会会長、福岡商工会議所副会頭、パリーグ総裁なども歴任し、九州財界の重鎮として活躍した[3]。
1963年11月20日に直腸がんのために死去。62歳没[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第18版 上』人事興信所、1955年。