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木村龍朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村龍朗
名前
愛称 キムタツ[1]
カタカナ キムラ タツロウ
ラテン文字 KIMURA Taturo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-06-24) 1984年6月24日(40歳)
出身地 広島市安佐南区
身長 174cm
体重 66kg
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 右足
ユース
1991-1996 日本の旗 広島市立祇園小学校
1997-1999 日本の旗 安芸FC jr.ユース
2000-2002 日本の旗 サンフレッチェ広島ユース
(吉田高校)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 日本の旗 サンフレッチェ広島 7 (0)
2006-2008 日本の旗 ツエーゲン金沢 41 (19)
2006 日本の旗 V・ファーレン長崎 0 (0)
通算 48 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

木村 龍朗(きむら たつろう、1984年6月24日 - )は、広島県広島市安佐南区出身の元サッカー選手。ポジションはFWMF

来歴

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自身が通う幼稚園にサッカークラブがあったことから、そこでサッカーを始め、広島市立祇園小学校6年時にはミッドフィルダーとしてナショナルトレセンに選ばれている[2]。その後、安芸FCジュニアユース、サンフレッチェ広島ユースへと入団する[2]。広島ユース同期は、沖本尚之、寄井憲木村孝洋中村重和森山佳郎から指導を受け、1年生のころからFWにコンバートされレギュラーとなり、3年生ではチームのエースとして活躍し、2002年Jリーグユース選手権大会準優勝に導く[1][2]

2003年、トップチームに昇格する[2]。同期入団は、松浦宏治高木和正大久保裕樹河原正治田中俊也[1]。1年目から数試合ベンチ入りを果たすも出場は叶わず[1]、2年目には途中交代ながら試合出場、3年目にも出場機会は与えられたが、チャンスを活かせなかった。

2006年、小川雅己が率い将来のJリーグ入りを目指す北信越フットボールリーグ金沢へ移籍する。広島で戦力外通告を受け、Jリーグ合同トライアウトに参加するもJリーグチームと契約できなかったところへ、金沢からオファーがあり、出場機会が得られることから契約した[3] 。金沢在籍中の2006年10月から全国地域リーグ決勝大会に出場するKyuリーグ長崎へレンタル移籍。当時はこの大会にむけて短期移籍が可能であった[4] ことに加え、長崎の強化担当であり元広島のスタッフだった小林伸二に誘われての移籍だった[3]。長崎では助っ人として活躍した[4]。その後金沢に戻り池田司信監督のもと主力として活躍した。北信越リーグでは、3年連続でアシスト王のタイトルを獲得した[5] ものの、いずれのチームでも、JFLへの昇格を果たすことはできなかった[3]

2009年、再びJリーグでプレーすることを目指して金沢を退団し、複数のクラブのテストを受けるも契約に至らず、モチベーションを保てなくなり、金沢から復帰要請もあったが応じず現役を引退した[3]

その後石川県金沢市に留まり、現在は当地でサッカースクールを開設しジュニア層の指導に当たっている[6]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 広島Y - - - 1 0 1 0
2003 広島 34 J2 0 0 - 0 0 0 0
2004 24 J1 4 0 1 0 0 0 5 0
2005 14 3 0 1 0 0 0 4 0
2006 金沢 10 北信越1部 13 6 - - 13 6
2006 長崎 21 九州 0 0 - 0 0 0 0
2007 金沢 10 北信越1部 14 2 - 3 0 17 2
2008 14 11 - 3 3 17 14
通算 日本 J1 7 0 2 0 0 0 9 0
日本 J2 0 0 - 0 0 0 0
日本 北信越1部 41 19 - 6 3 47 22
日本 九州 0 0 - 0 0 0 0
日本 - - 1 0 1 0
総通算 48 19 2 0 7 0 57 22
  • 2006年 地域リーグ決勝大会(長崎) 5試合2得点

出場歴・タイトル

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ユース年代
  • 高円宮杯全日本ユース選手権 : 3位(2001年)
  • 日本クラブユース選手権(U-18) : 3位(2001年)
  • Jユースカップ : 準優勝(2002年)
  • 全広島サッカー選手権大会 : 優勝、天皇杯 : 1回戦敗退(2002年)
トップチーム

脚注

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  1. ^ a b c d サンフレ燃えろルーキー6人衆”. 中国新聞. 2011年6月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 木村龍朗インタビュー第1弾「普通の奴らとは違うというプライドを持っていた」”. サッカーナビ (2011年2月4日). 2011年6月7日閲覧。
  3. ^ a b c d 木村龍朗インタビュー第2弾「広島のときは見えなかった部分が見えた」”. サッカーナビ (2011年2月8日). 2011年6月7日閲覧。
  4. ^ a b 0勝3敗 勝ち点1 最下位 スペシャルチーム長崎の崩壊”. 2002world.com. 2011年6月7日閲覧。
  5. ^ マッチデープログラム” (PDF). ツエーゲン金沢ボランティア. 2011年6月7日閲覧。
  6. ^ 木村龍朗インタビュー第3弾「人との繋がりが人生の全て」”. サッカーナビ (2011年2月9日). 2011年6月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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