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田中俊也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 俊也
名前
愛称 トシヤ
カタカナ タナカ トシヤ
ラテン文字 TANAKA Toshiya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-11-12) 1984年11月12日(39歳)
出身地 石川県金沢市
身長 176cm
体重 69kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
2000-2002 日本の旗 星稜高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 日本の旗 サンフレッチェ広島 6 (1)
2005-2009 日本の旗 愛媛FC 162 (31)
2010 日本の旗 ツエーゲン金沢 12 (2)
通算 180 (34)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

田中 俊也(たなか としや、1984年11月12日 - )は、石川県金沢市出身の元サッカー選手である。ポジションはFW

来歴

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高校時代は地元・石川県の強豪校である星稜高校へ進学、全国大会通算12得点、高校通算得点は予選や練習試合を含めると100ゴールを軽く超える。北信越地方では柳沢敦の再来と騒がれた。

2003年にサンフレッチェ広島へ入団。2年目の2004年に出場経験が得られるものの継続したものではなかった。翌2005年、チームは佐藤寿人ガウボンジョルジーニョの補強、前田俊介のトップ昇格とFW過多状況になり、サテライトですらMFとして出場していた。同年7月に当時JFLの愛媛FCへレンタル移籍。

愛媛ではJリーグ昇格の切り札として大いに期待された。当初は落ち着いたポストプレーなど大器の片鱗を見せるも周囲とのコンビネーションに苦労するなど、期待された程の活躍は出来なかった。しかしJリーグ参入の絶対条件であったJFL2位以内を確定させた11月27日のHonda FC戦では劇的な逆転ゴールを決め、喜びの余り200人以上集まった愛媛サポーターの中に飛び込み、一躍人気選手となった。 翌2006年完全移籍。

前線からの守備を頑張り過ぎ、重大な決定機を外し続けたこともあったが、周囲との連携が深まるとゴールを量産。献身的な守備、スペースへの飛び出し、ペナルティエリア内での落ち着いた動きなどで愛媛のエースに君臨し、J2得点ランク10位となる14ゴールを挙げた。

2007年から背番号も11となった。

愛媛FCのエースストライカーとして入団時からチームをけん引し、チームの顔ともいえる存在であったが怪我の影響もあり2008年シーズン頃よりプレーに精彩を欠くようになりベンチメンバーにすら入れない試合が続いた。2009年シーズンオフをもって退団。2010年はJFLに昇格した出身地のツエーゲン金沢に移籍、2度目のJリーグ昇格を目指したが、1年で退団。

その後は広島同期入団の木村龍朗が設立に携わった、パテオFCのコーチを経て、現在は金沢市内の少年サッカークラブのコーチを務めている。

エピソード

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所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 広島 32 J2 0 0 - 0 0 0 0
2004 23 J1 6 1 1 0 0 0 7 1
2005 13 0 0 0 0 - 0 0
2005 愛媛 33 JFL 11 2 - 3 3 14 5
2006 J2 47 14 - 2 1 49 15
2007 11 28 5 - 3 2 31 7
2008 35 7 - 1 0 36 7
2009 41 3 - 1 0 42 3
2010 金沢 10 JFL 12 2 - 0 0 12 2
通算 日本 J1 6 1 1 0 0 0 7 1
日本 J2 151 29 - 7 3 158 32
日本 JFL 23 4 - 3 3 26 7
総通算 180 34 1 0 10 6 191 40

関連項目

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外部リンク

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