末廣演芸会
日曜演芸会 → 末廣演芸会 | |
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番組の収録が行われていた新宿末廣亭 | |
ジャンル | 演芸番組 |
司会者 |
真山恵介 馬場雅夫 四代目桂米丸 福富太郎 |
製作 | |
製作 | NETテレビ → テレビ朝日 |
放送 | |
放送局 | NETテレビ → テレビ朝日 |
映像形式 | モノクロ放送(1970年3月22日まで[1]) → カラー放送(1970年3月29日から[2]) |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
(グラスロン → 長崎タンメン) 日曜演芸会 | |
放送期間 | 1961年7月 - 1975年9月28日 |
放送時間 | 当該節参照 |
放送分 | 65 → 60 → 45分 |
末廣演芸会 | |
放送期間 | 1975年10月4日 - 1981年3月28日 |
放送時間 | 当該節参照 |
放送分 | 55 → 45 → 30分 |
特記事項: 毎日放送でも『土曜演芸会』と題して放送。 |
『末廣演芸会』(すえひろえんげいかい)は、1975年10月4日から1981年3月28日までテレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)で放送されていた演芸番組である。
本項では、1961年7月から1975年9月28日まで同局で放送されていた前身番組『日曜演芸会』(にちようえんげいかい)についても述べる。
概要
[編集]1961年1月15日から同年3月26日まで同局で放送されていた『お笑い演芸館』と同様に、東京・新宿にある新宿末廣亭から放送されていた。番組前半には各種演芸を、後半には大喜利(「珍芸コーナー」→「お笑い七福神」)を行っていた。
放送開始から14年間は『日曜演芸会』という番組名で、日曜昼の時間帯に放送されていた。当初はモノクロ放送だったが、1970年3月29日放送分からカラー放送となった[2]。
その後、1975年4月のネットチェンジによって朝日放送製作の『パネルクイズ アタック25』が同時間帯へ移動することになったため、日曜16:30枠へ移動。それから半年後には放送曜日を土曜日に変更し、同時にタイトルを『末廣演芸会』と改めた。その後も日曜18:30枠 → 土曜17:00枠への移動を経て続けられたものの、番組は1981年3月28日放送分をもって終了した。番組の終了後、替わって日曜15:00枠で『ザ・テレビ演芸』がスタートした。なお、当番組終了後も新宿末廣亭での公開収録での寄席中継が日曜16時からの単発枠『サンデープレゼント』で不定期に放送されていた。
ネットチェンジの前までネットワーク関係にあった毎日放送も本番組を放送していた。ただし同局は、当時日曜13:15枠で『素人名人会』を放送していたことから、6日遅れの土曜日に『土曜演芸会』とタイトルを差し替えて放送していた。
放送時間
[編集]いずれも日本標準時。
日曜演芸会
[編集]- 日曜 13:00 - 14:05 (1961年7月 - 1961年9月24日)
- 日曜 15:15 - 16:15 (1961年10月 - 1963年2月)
- 日曜 13:30 - 14:15 (1963年3月 - 1963年5月)
- 日曜 13:15 - 14:00 (1963年6月 - 1975年3月30日)
- 日曜 16:30 - 17:15 (1975年4月6日 - 1975年9月28日)
末廣演芸会
[編集]- 土曜 14:00 - 14:55 (1975年10月4日 - 1978年3月25日)
- 土曜 17:00 - 17:45 (1978年4月1日 - 1979年3月31日)
- 日曜 18:30 - 19:00 (1979年4月8日 - 1979年10月28日)
- 土曜 17:00 - 17:30 (1979年11月3日 - 1981年3月28日)
出演者
[編集]解説
[編集]大喜利
[編集]- 四代目桂米丸 - 『日曜演芸会』時代の司会。
- 福富太郎 - 『末廣演芸会』時代の司会。
- 三笑亭夢楽
- 初代金原亭馬の助
- 四代目柳家小せん
- 四代目春風亭柳好
- 五代目春風亭柳朝
- 六代目古今亭志ん馬
- 月の家円鏡(後の八代目橘家圓蔵)
- 二代目桂小南
- 桂文平(後の六代目柳亭左楽)
- 桂小益(後の九代目桂文楽)
- 金原亭桂太(後の初代金原亭伯楽)
- 古今亭志ん駒
- 橘家圓平
その他レギュラー
[編集]提供
[編集]放送開始からしばらくの間は旭ファイバーグラスの一社提供で、1966年頃からはサンヨー食品の一社提供で放送。その間は『グラスロン日曜演芸会』→『長崎タンメン日曜演芸会』と、各社の主力商品の名を冠して放送されていたが、1970年頃から新たに宇津救命丸がスポンサーに加わって複数社提供になったため、タイトルから長崎タンメンが外れて『日曜演芸会』になった[3]。
『末廣演芸会』時代には一貫して複数社提供で放送されていたため、タイトルの変更は無かった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 笑芸人 VOL.2(白夜書房)44頁 2000年
- 完璧版 テレビバラエティ 大笑辞典(白夜書房)185頁・186頁 2003年
関連項目
[編集]- 笑って笑って大合戦 - 1965年から1968年までの大晦日にNETテレビで放送されていた演芸特別番組。こちらはロッテの提供とスポンサーが異なる番組であるが、本番組からも「お笑い七福神」のメンバーが出演していた。
NETテレビ 日曜 13:00 - 14:05 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
グラスロン日曜演芸会
(1961年7月 - 1961年9月) |
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NETテレビ 日曜 15:15 - 16:15 | ||
グラスロン日曜演芸会
(1961年10月 - 1963年2月) |
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NETテレビ 日曜 13:30 - 14:15 | ||
グラスロン日曜演芸会
(1963年3月 - 1963年5月) |
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NETテレビ 日曜 13:15 - 14:00 | ||
グラスロン日曜演芸会
↓ 長崎タンメン日曜演芸会 ↓ 日曜演芸会 (1963年6月 - 1975年3月) |
パネルクイズ アタック25
(1975年4月6日 - 1975年9月) ※13:15 - 13:40 ファミリータイム ※13:40 - 13:45 【日曜14:25枠から移動】 ビッグスポーツ (1975年4月 - 1975年9月) ※13:45 - 15:00 【日曜16:30枠から移動】 |
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NETテレビ 日曜 16:30 - 17:15 | ||
ビッグスポーツ
(1969年10月 - 1975年3月) 【日曜13:45枠へ移動】 |
日曜演芸会
(1975年4月6日 - 1975年9月28日) |
NETテレビ → テレビ朝日 土曜 14:00 - 14:55 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
必殺仕掛人 再放送
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末廣演芸会
(1975年10月4日 - 1978年3月25日) |
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テレビ朝日 土曜 17:00 - 17:45 | ||
末廣演芸会
(1978年4月1日 - 1979年3月31日) |
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テレビ朝日 日曜 18:30 - 19:00 | ||
末廣演芸会
(1979年4月8日 - 1979年10月28日) |
レッツ!VOICE
(1979年11月4日 - 1981年5月24日) |
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テレビ朝日 土曜 17:00 - 17:30 | ||
魔法使いサリー 再放送
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末廣演芸会
(1979年11月3日 - 1981年3月28日) |
アイドルパンチ
(1981年4月4日 - 1985年3月30日) |