本多助之
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元文3年(1738年) |
死没 | 明和8年11月11日(1771年12月16日) |
官位 | 従五位下若狭守 |
藩 | 信濃飯山藩世嗣 |
氏族 | 本多氏(豊後守家) |
父母 | 本多助盈 |
兄弟 |
助之、助佳、助交、八重、 松平守惇正室、朽木昌綱継室、 織田信味正室、本多助阜正室ら |
妻 | 堀田正亮娘 |
子 | 助受、本多道福室 |
本多 助之(ほんだ すけゆき)は、江戸時代中期の信濃国飯山藩の世嗣。官位は従五位下・若狭守。
略歴
[編集]元文3年(1738年)、4代藩主・本多助盈の長男として誕生。元文元年(1736年)生まれとも。正室は堀田正亮の娘。子に本多助受(長男)、本多道福室。
宝暦3年(1753年)に9代将軍・徳川家重に初御目見したが、家督相続以前に死去した。代わって、長男・助受が嫡子となり、祖父・助盈から家督を継いだ。
3代藩主・本多助有の子という説もある。