本多助時
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本多 助時(ほんだ すけとき、生没年不詳)は、戦国時代初期の武将。本多定助の子。通称は平八郎、内記。子に本多助豊 がいる[1]。
かつてより三河国に住み、松平泰親に仕え、しばしば戦で軍功があった。文明11年(1479年)、主君松平信光が安祥城を襲う際に、大手門より攻め入り味方を鼓舞したという。延徳2年(1490年)の井田の役でも軍功を挙げた [2]。
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