本多康政
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享2年(1745年) |
死没 | 明和2年10月30日(1765年12月12日) |
改名 | 菊弥(幼名)→忠節(初名)→康政 |
別名 | 将監(通称) |
戒名 | 徳性院殿心覚自然大居士 |
墓所 | 滋賀県大津市丸の内町の縁心寺 |
官位 | 従五位下、下総守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 近江膳所藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多忠統、養父:本多康桓 |
兄弟 | 康桓、小笠原信胤、忠篤、忠栄、忠永、忠明、忠国、康政 |
子 |
娘(飛鳥井雅威室) 養子:本多康伴、養女(本多康桓の娘、本多康伴正室) |
本多 康政(ほんだ やすまさ)は、近江膳所藩の第8代藩主。康俊系本多家宗家8代。
生涯
[編集]伊勢国神戸藩主・本多忠統の九男。初名は忠節(ただとき)。明和元年(1764年)閏12月6日に兄の先代藩主・康桓の養嗣子となり、明和2年(1765年)正月25日の康桓の隠居により家督を継いだ。しかし同年10月晦日に21歳で死去し、跡を養嗣子の康伴が継いだ。
系譜
[編集]父母
子女
養子、養女