本多康敏
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄6年(1693年) |
死没 | 延享4年8月24日(1747年9月28日) |
改名 | 大助(幼名)→俊音(初名)→康敏 |
戒名 | 天峯院殿晴光了然大居士 |
墓所 | 滋賀県大津市丸の内町の縁心寺 |
官位 | 従五位下、主膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 近江膳所藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多康慶、養父:本多康命 |
兄弟 |
康命、康敏、牧野忠寿、俊文、 妹(相馬尊胤室)、妹(青山幸秀室) |
子 | 養子:康桓 |
本多 康敏(ほんだ やすとし)は、近江膳所藩の第6代藩主。康俊系本多家宗家6代。
生涯
[編集]元禄6年(1693年)、第4代藩主・本多康慶の五男として生まれる。正徳4年(1714年)3月4日、1000俵取りの寄合となった。しかし享保4年(1719年)に兄で第5代藩主の康命が死去したため、その養子となって家督を継ぎ、第6代藩主となった。享保5年(1720年)12月27日、従五位下・主膳正に叙位・任官する。
延享4年(1747年)8月24日に膳所で死去、享年55。跡を養子の康桓が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子