本多犬千代
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永13年(1636年)[1] |
死没 | 寛永17年5月13日(1640年7月2日)[1] |
戒名 | 善哲[2] |
墓所 | 東京都台東区西浅草の徳本寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野榎本藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多政遂、母:本多忠純の娘 |
本多 犬千代(ほんだ いぬちよ)は、江戸時代前期の大名。下野榎本藩の第3代藩主。3歳で家督を相続したが5歳で夭折し、榎本藩は無嗣改易となった。
生涯
[編集]寛永13年(1636年)、第2代藩主本多
寛永15年(1638年)、父が若くして死去したため、3歳で遺領を継いだ[2]。しかし、寛永17年(1640年)5月13日に5歳で死去した[2]。榎本藩は無嗣のために改易され、領地は収公された[2]。
榎本藩本多家が絶えたことを惜しんだ将軍徳川家光は、寛永19年(1642年)に政遂の弟・政朝(帯刀)を召し出して幕臣とし、名跡を継がせた[3][注釈 1]。政朝は下野国都賀郡内で5000石の領知を有する大身旗本となった[3]。