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本多重貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
本多重貞
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年(1701年
死没 享保4年2月4日1719年3月24日
越前丸岡藩世嗣
氏族 脇坂氏本多氏(作左衛門家)
父母 脇坂安照
本多重益
兄弟 脇坂安清、脇坂安次郎、久留島通用
脇坂安利重貞脇坂照武
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本多 重貞(ほんだ しげさだ)は、江戸時代中期の越前国丸岡藩の世嗣。

略歴

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元禄14年(1701年)、播磨国龍野藩2代藩主・脇坂安照の五男として誕生。

越前国丸岡藩4代藩主・本多重益の養子となる。しかし、丸岡藩は元禄8年(1695年)に改易されたため、藩主に就くことはなかった。改易後、重貞は赦免されないまま享保4年(1719年)に早世。享年19。

養父・重益は宝永6年(1709年)に罪を許され旗本として復帰し、家督は代わって養子となった成興が継いだ。