本庄村 (山形県)
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ほんじょうむら 本庄村 | |
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廃止日 | 1954年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上山町、西郷村、本庄村、東村、宮生村、中川村 → 上山市 |
現在の自治体 | 上山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 山形県 |
郡 | 南村山郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
東村、宮生村、上山町、西郷村 東置賜郡二井宿村 宮城県 刈田郡七ヶ宿村 |
本庄村役場 | |
所在地 | 山形県南村山郡本庄村 |
座標 | 北緯38度06分43秒 東経140度17分13秒 / 北緯38.11203度 東経140.28683度座標: 北緯38度06分43秒 東経140度17分13秒 / 北緯38.11203度 東経140.28683度 |
ウィキプロジェクト |
本庄村(ほんじょうむら)は、かつて山形県南村山郡にあった村。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い南村山郡皆沢村、三上村、関根村、相生村、楢下村が合併し、本庄村が発足。
- 1911年(明治44年) - 赤山銅山の鉱毒により、楢下・皆沢・三上・相生・関根の各部落の水田に灌漑する宮川(須川)が汚染され、収量が激減あるいは皆無という被害が発生
- 1912年(大正元年)8月 - 皆沢地区代表が仙台鉱山監督署長に鉱山停止の願書を提出
- 1912年(大正元年)12月 - 県知事へ赤山鉱山の鉱毒被害対策について「被害人民代表者」の陳情がなされる
- 1913年(大正2年)2月 - 本庄村長湯原虎次郎は農商務大臣に「購読被害ニ関シ請願書」を提出する
- 1913年(大正2年)6月 - 本庄村長曽我部尚紀の調停により、赤山鉱山側の回答額1,100円の損害賠償額で地主農民が妥協する
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 南村山郡上山町、西郷村、東村、宮生村、中川村と合併し、市制施行して上山市となり消滅。最後の村長、須田吉之助は村役場全職員を合併後も市職員として残すことを条件として合併に同意した。
消滅時(1954年9月30日)の概要
[編集]- 村長:須田吉之助
- 村議会議長:北沢利雄
- 議員定数:16名
- 面積:31.93k㎡
- 人口:3,927人
- 戸数:615戸
交通
[編集]道路
[編集]- 羽州街道(現・山形県道13号上山七ヶ宿線、上山市道 他)
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。