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妙福寺 (練馬区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本應院から転送)
妙福寺

山門
所在地 東京都練馬区南大泉5-6-56
位置 北緯35度45分4.5秒 東経139度34分40.8秒 / 北緯35.751250度 東経139.578000度 / 35.751250; 139.578000座標: 北緯35度45分4.5秒 東経139度34分40.8秒 / 北緯35.751250度 東経139.578000度 / 35.751250; 139.578000
山号 西中山(さいちゅうざん)
宗旨 日蓮宗
本尊 一尊四菩薩像[1]
創建年 嘉祥3年(850年)
開山 慈覚大師
開基 日高上人
中興 二十一世明了院日教聖人[2]
正式名 西中山妙福寺
公式サイト 日蓮宗西中山妙福寺公式ホームページ
法人番号 5011605000131 ウィキデータを編集
妙福寺 (練馬区)の位置(東京都区部内)
妙福寺 (練馬区)
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妙福寺(みょうふくじ)は、東京都練馬区南大泉5丁目にある日蓮宗の寺院。旧本山は大本山法華経寺[2]、達師法縁。

歴史

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当寺院は、もともとは嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁よって創建された天台宗の寺院である。当時は寺院名は慈覚山大覚寺といった。[1]

その後、弘安5年(1282年下総国(現在の千葉県)にある法華経寺の日高がこの地を訪れ日蓮宗の教えを地元の農民などに説法した。そして、当地に要法下種山(ようぼうげしゅざん)妙福田寺という日蓮宗の庵を造った。[1]

そして元亨2年(1322年)、大覚寺住職日延は法華経寺の日祐の教えを受け、大覚寺と妙福田寺を合併して、妙福寺とした上で、日蓮宗に改宗した。[3]

当初は法種山(ほっしゅざん)と名乗っていた[注釈 1]が、後に法華経寺の貫主が当寺の住職を兼任してきたため、法華経寺のある下総国・中山に因んで「西の中山」と称するようになり、山号も西中山と名乗るようになった。妙福寺は当地における日蓮宗寺院の代表的な存在になった。

江戸時代になると徳川将軍家から祈願所とされ、21石5斗の朱印地を授かり格式ある寺院になった。[1]

主な施設

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文化財

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練馬区指定有形文化財
  • 妙福寺文書(1992年指定)[4]
  • 妙福寺の梵鐘(1997年指定)[5]
練馬区登録有形文化財
  • 妙福寺の駕籠(2012年登録)[6]
練馬区登録有形民俗文化財
  • 福徳元年の月待板碑(2008年登録)[7]

旧末寺

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日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

近隣施設

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ギャラリー

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アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿』の記述が法種山[2]

出典

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  1. ^ a b c d 石神井公園ふるさと文化館 (2012)60-62pp.
  2. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 小榑村.
  3. ^ a b 妙福寺保育園公式ページ
  4. ^ 妙福寺文書”. 指定・登録文化財. 練馬区 (2011年9月30日). 2018年10月14日閲覧。
  5. ^ 妙福寺の梵鐘”. 指定・登録文化財. 練馬区 (2018年7月27日). 2018年10月14日閲覧。
  6. ^ 妙福寺の駕籠”. 指定・登録文化財. 練馬区 (2013年3月13日). 2018年10月14日閲覧。
  7. ^ 福徳元年の月待板碑”. 指定・登録文化財. 練馬区 (2010年2月1日). 2018年10月14日閲覧。

参考文献

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  • 練馬区立石神井公園ふるさと文化館編『練馬の寺院 改訂版』 2012年
  • 「小榑村 妙福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ134新座郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763996/81 

外部サイト

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