本田実信
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人物情報 | |
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生誕 |
1923年3月29日 日本愛知県岡崎市 |
死没 | 1999年1月6日 (75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学 |
研究機関 | 北海道大学・京都大学・名古屋商科大学 |
学位 | 文学博士 |
本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年3月29日 - 1999年1月6日)は、日本の東洋史学者。文学博士(ケンブリッジ大学・1957年)。京都大学名誉教授。北海道大学教授・京都大学教授・名古屋商科大学教授を歴任[1]。
来歴・人物
[編集]1923年、愛知県岡崎市生まれ。1949年東京帝国大学文学部東洋史学科を経て、東京大学大学院修了。1957年、ケンブリッジ大学に学位論文を提出して文学博士(Ph.D.)を取得[1]。
英国留学からの帰国後、モンゴル帝国史、ティムール朝史、サファヴィー朝史等のペルシア語写本を中心とする重要写本のマイクロフィルムを大量に招来した[2]。
帰国後は、1957年北海道大学文学部助教授、1964年同大教授。1975年、京都大学文学部西南アジア史学科の教授に着任[3]。1985年、京都大学文学部長を歴任。1986年に京都大学を定年退官。その後は、名古屋商科大学商学部教授就任[1]。
受賞・栄典
[編集]- 1998年 第13回:大同生命地域研究賞を受賞 - 「多年に亘るユーラシア規模でのモンゴル時代史、ならびにイラン・イスラム中東地域の歴史と文化に関する研究業績」に対し[4]。
研究内容・業績
[編集]- モンゴル帝国史、イラン中世史を専門とした。ペルシア語文献とイスラム写本研究で業績があり、数々の著書・論文を発表した。
- 1981年から1985年までの5年間、3月29日‐31日に行うという、情報交換と研究発表の会を主催した[5][6] 。
- 戦後入居した下宿屋・みずほ館には、大学院生であった先輩の影山剛・神田信夫・護雅夫らが先に下宿しており、別のところに住む西嶋定生や山田信夫らも集まって深夜にまで及ぶ議論を戦わせていたという[7][8]。
著書
[編集]- 単著
- 『世界の歴史―ビジュアル版6 イスラム世界の発展』(講談社)1985。NCID BN00335208
- 『モンゴル時代史研究』(東京大学出版会)1991。NCID BN0628993010.14989/shirin_75_119
- ※勝藤猛「<書評>本田実信著『モンゴル時代史研究』」『史林』75巻1号、史学研究会 (京都大学文学部内)、1992年、119-126頁。doi:10.14989/shirin_75_119
- 共著
論文
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 「本田 実信」『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年 。}
- ^ 志茂碩敏 1999.
- ^ p.85:小松久男「中央アジアからの眺望」(PDF 811KB)『イスラーム世界研究』第13巻、2020年、82-96頁。
- ^ 受賞者一覧 公益財団法人 大同生命国際文化基金
- ^ 中央アジアからの眺望, 質疑応答 p.96.
- ^ 清水宏祐「追悼 佐藤次高氏のご逝去を悼む」『オリエント』第54巻第1号、日本オリエント学会、2011年、186-188頁、doi:10.5356/jorient.54.186。「p.187 :「史料読み放題・時間無制限」の「サミット」なる研究会」
- ^ 山田信夫「北方史研究会成立前後-昭和二十一年、三~四月の日記より-」『戦中戦後に青春を生きて 東大東洋史同期生の記録』神田信夫・山根幸夫編、山川出版社、1984年、163-182頁。[要ページ番号]
- ^ 護雅夫「海軍兵学校・研究室・みづほ館」『戦中戦後に青春を生きて 東大東洋史同期生の記録』、117-143頁。p.141 :「1948年になると、私どもは、一人の友人を新しくむかえた。本田實信君である。…東京での宿舎としておられた三河寮が全焼したため、着のみ着のままでみづほ館へ来られたのである。…同君は、私と同居することになった。…研究室で…小林高四郎氏の紹介で外務省の小川亮作氏を講師にむかえ、ペルシア語の講習会がはじまったのはそのころ…もっとも熱心な聴講者が本田君であった」
外部リンク
[編集]- 志茂碩敏「本田實信先生とペルシア語史料」『イスラム世界』第53巻、日本イスラム協会、1999年、175-179頁、doi:10.57470/theworldofislam.53.0_175。