札幌特別
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札幌特別(さっぽろとくべつ)とは当初は札幌競馬倶楽部、後に日本競馬会が主催し1930年から1943年まで施行された競馬の競走である。のちの重賞競走に相当する特殊競走で、毎年夏に札幌競馬場で行われていた。
概要
[編集]北海道産4歳馬(現表記3歳馬)限定の特殊競走「札幌特別」として1930年秋季に創設。合計1万円という当時としては巨額の賞金で注目を集めた[1]。登録料100円を集めて付加賞として分配するステークス方式を取っており、1着賞金が7000円を超える年もあった[2]。また、東京優駿、中山四歳馬特別と並んで数少ない4歳馬限定特殊競走の1つでもあった[2]。
1936年の日本競馬会成立と競走体系の再編に伴い1938年をもって廃止されたが、翌1939年には「札幌農林省賞典四歳呼馬」が創設された[1]。これは距離を2400mに延長した以外は札幌特別の機能を受け継いでおり、事実上の改称として受け入れられた[3]。北海道でデビューした馬にとって最高の能力試験として位置づけられていたが[4]、太平洋戦争を理由に1943年秋季を最後に中止された[1]。終戦後の1947年には同条件の「札幌四歳特別」という形で復活したが、翌年の日本競馬会解散・国営競馬移行後は開催されず、1年限りで廃止となった[1][5]。
歴代優勝馬
[編集]札幌特別
[編集]回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
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第1回 |
1930年8月17日 | トロフイーウインナー | 牝3 | 2:03 3/5 | 清水茂次 | ||
第2回 |
1931年8月10日 | パアデー | 牝3 | 2:18 3/5 | 岸参吉 | ||
第3回 |
1932年8月9日 | シラヌヒ | 牝3 | 2:07 0/5 | 美馬勝一 | ||
第4回 |
1933年8月7日 | ボニーチヤペル | 牡3 | 2:09 0/5 | 青山市之進 |
伊藤繁太郎 | |
第5回 |
1934年8月6日 | ミツクニ | 牡3 | 2:08 3/5 | 清水茂次 | ||
第6回 |
1935年8月13日 | イチノヤ | 牡3 | 2:09 0/5 | 清水茂次 | ||
第7回 |
1936年8月11日 | ボニーラン | 牡3 | 2:27 2/5 | 伊藤正四郎 | ||
第8回 |
1937年8月10日 | ホウカツキング | 牡3 | 2:22 1/5 | 稗田十七二 | 稗田虎伊 | 真藤慎太郎 |
第9回 |
1938年8月16日 | ホクエン | 牡3 | 2:37 1/5 | 斎藤友吉 | 園田実徳 | |
第10回 | 1939年8月11日 | マルタケ | 牡3 | 2:34 2/5 | 清水茂次 |
伊藤繁太郎 | |
第11回 | 1940年月日 | タカヌマ | 牡3 | 2:37 2/5 | 斎藤友吉 | 牛込公夫 | |
第12回 | 1941年8月3日 | ニパトア | 牝3 | 2:36 1/5 | 境勝太郎 | 清水茂次 | 山本文吉 |
第13回 | 1942年8月2日 | グランドパーク | 牡3 | 2:34 1/5 | 新屋幸吉 | 清水茂次 | 小林庄平 |
第14回 | 1943年8月1日 | ヨシトク | 牝3 | 2:38 2/5 | 稗田十七二 |
- コース:土
- 距離:第1回 1800m、第2〜6回 2000m、第7・8回 2200m、第9回〜 2400m
- 競走名:第10回〜 「札幌農林省賞典四歳呼馬」
札幌四歳特別
[編集]回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
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第1回 | 1947年 | セントマル | 牡3 | 2:41 2/5 | 新屋幸吉 |
- コース:土
- 距離:2400m
- 競走名:「札幌四歳特別」