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朱徽娟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朱徽娟
続柄 泰昌帝第一皇女

全名 朱徽娟
称号 (諡:悼懿公主)
出生 万暦32年5月9日1604年6月6日
死去 万暦38年1月5日1610年1月29日
埋葬 金山
父親 泰昌帝
母親 孝元皇后
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朱 徽娟(しゅ きえん、万暦32年5月9日1604年6月6日) - 万暦38年1月5日1610年1月29日))は、泰昌帝の嫡出長女(第一子)。母は孝元皇后郭氏

万暦32年5月9日(1604年6月6日)卯時、皇太子朱常洛(後の泰昌帝)の邸に生まれた。朱常洛は正妻の郭氏との間にその後も男子が生まれなかったため、父の万暦帝の許可で多くの側室が置かれた。翌年、王選侍が長男の由校(後の天啓帝)を生んだ。

万暦38年正月5日(1610年1月29日)、朱徽娟は死去し、金山に葬られた。

万暦48年(1620年)7月、泰昌帝が即位するが、子供たちが王や公主に封ぜられる間もなく、翌月に崩じた。天啓2年12月(西暦で1623年)、庶弟の天啓帝により徽娟は郡主から公主に格上げされ、「悼懿」とされた。

参考文献

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  • 明史』 - 列伝第九 公主伝
  • 『明熹宗実録』
  • 『明神宗実録』