コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

朱讃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朱 讃(しゅ さん、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。豫州沛国礁県の出身。

同郷の曹真曹遵と共に曹操に仕えていたが、曹遵ともども若死した。曹真はこれを悼み、自らの食邑を2人の子に分け与えることを願い出た。勅許され2人の子はそれぞれ、関内侯と食邑百戸を授けられた[1]

三国志演義

[編集]

羅貫中の小説『三国志演義』では、正史『三国志』とは異なり、の時代に曹真配下の盪寇将軍として登場し、蜀漢諸葛亮北伐を迎撃する。曹真の指示を受け、初戦は蜀漢の本陣に奇襲を掛けるが、諸葛亮には見透かされており、四方八方から攻撃を受けて敗走(第93回)。その後、撤退の動きを見せた蜀軍を追撃していたところ、趙雲に奇襲され、槍の一突きで刺殺される(第94回)。

脚注

[編集]
  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻9 魏書 曹真伝