杉本喜代志
杉本 喜代志 | |
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生誕 | 1942年2月3日(82歳) |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1960年代 - |
杉本 喜代志(すぎもと きよし、1942年2月3日 - )は、日本のジャズ・ギタリスト[1]。1970年代トップ演奏者のひとりであり[2]、スタジオ・ミュージシャンとして、ジャズ・ロック、J-POP、アニメソング、歌謡曲等のレコーディングに参加している。
経歴
[編集]静岡県生まれ[1]。小学6年の時、ミュージシャンを志していた父親から子供用の小ぶりなギターを買い与えられる。
高校1年生の夏休み、女流クラシック・ギタリストに弟子入りするため、夜汽車に乗って上京した。その車中で「ボクどこ行くの」とギターを抱えている杉本に声をかけてきた男性がいた。その男性は東京交響楽団のチェロ奏者でギターも演奏する浅井。「ジャズ・ギタリストになりたい」との思いを聞いた浅井は、品川にある自宅に杉本を招く。紹介されたのが奥田宗弘である。
人気ダンスバンド「奥田宗宏とブルースカイ・オーケストラ」のバンドボーイの仕事を紹介してもらい、しばらくその仕事をしていたある日、奥田から「小坂一也のバンドで2代目ギター募集しているからやってみたらどうだ」と勧められ、1960年代はじめに、カントリー音楽の小坂一也&ワゴン・マスターズ(同メンバーにかまやつひろしも在籍)に参加する。加入後「水原弘ブルーソックス」「ジョージ大塚とザ・サンダーバード」「山下敬二郎と東京ヤンキース」とロカビリー・バンドを展開していた。その後、吉屋潤グループなどでもギタリストとして活動した[1]。自らのグループを組みつつ、スタジオ・ミュージシャンとして数多くのレコーディングに参加した[1]。その後、ようやくジャズにたどり着き、「大沢保郎トリオ」、「岡崎広志とスター・ゲイザーズ」、「石川晶とカウント・バッファローズ」、「日野皓正グループ」、自己コンボを経て、リーダーカルテット「カントリー・ドリーム」杉本(ギター)、鈴木宏昌(ピアノ)、池田芳夫(ベース)、日野元彦(ドラム)で発表する。
1970年、「日野皓正クインテット」に参加。
1971年、「ベルリン・ジャズ・フェスティバル」「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」「ニューヨーク カーネギー・ホール」出演を果たし[3]、当時MCをしていたいソノてルヲは「日本人で初めてのカーネギー出演だ」と興奮していた。
この時期のリーダー・アルバム『バビロニア・ウインド』は、杉本(ギター)、植松孝夫(テナー・サクソフォーン)、市川秀男(ピアノ)、池田芳夫(ベース)、日野元彦(ドラム)で発表された。クレジットにはないがパーカッション演奏者は日野皓正。
1978年発表のアルバム『L.A.マスター』は、ニューヨークでの生活を終え日本に戻っていた杉本が「クロスオーバー」「フュージョン」というサウンドを経験していたこともあり、清水靖晃(アルトサックス)、富樫春生(キーボード)、岡沢章(ベース)、渡嘉敷祐一(ドラム)、杉本(ギター)のメンバーですぐにレコーディングされている。
1981年、ウォーレン・バーンハート(ピアノ)、マーカス・ミラー(ベース、グラミー賞受賞者)、オマー・ハキム(ドラム)、大野俊三(トランペット、グラミー賞受賞者)、杉本(ギター)のメンバーで、アルバムに収める楽曲6曲のオリジナルを1週間で書き下ろしたのがアルバム『ワン・モア』。
2001年、20年ぶりのリーダー・アルバム・KANKAWAプロデュース作『サーキュレーション』は、グレッグ・バンディ(ドラム)、シンシア・マリ(ボーカル)、KANKAWA(オルガン)、杉本(ギター)のメンバーでライブ・レコーディング。
2004年、森山威男(ドラム)、高水健司(ベース)、杉本(ギター)、笹路正徳プロデュースによる『バッテリーズ・ノット・インクルーテッド』を発表。「ドラムの森山さんと杉本さんの双頭バンドで作品を作りませんか? ベースは高水です」と笹路から誘いの連絡があって実現した作品。
2019年、病気治療のため活動休止していたが再始動にラテンジャズ『Arcadia』で復活。メンバーは、石川勇人(ドラム)、福本純也(ピアノ)、荒川B琢哉(パーカッション)、勝矢匠(ベース)、杉本(ギター)。
2020年2月、60年のキャリアで初となる「Birthday Live」を新宿 Jazz Spot J で行った。お祝いに、大野えり(ボーカル)、渡嘉敷祐一(ドラム)らが駆けつけた。
2021年、一般社団法人日本ジャズ音楽協会、2021年度「ジャズ大賞」受賞。
エピソード
[編集]渡辺貞夫からのグループ加入の誘いを断ったことがあり、代わりに加入したのが増尾好秋。
渡辺香津美が弟子入りを志願したが、多忙を極めていた時期と重なり断った。
ギタリスト直居隆雄、岩見淳三、水口昌昭らは高校生のころから杉本の追っかけをやっていた。
エレキベース奏者のグレッグ・リーの仲人を務めるた。
筒美京平のファーストコールミュージシャンであり、お気に入り奏者の一人であった。
フランク・ウエスは“ゴキゲン”と称した。
村上春樹とは、若い頃に交流があり、村上の著書『職業としての小説家』において記載がある。
甥に、教育哲学者、福祉心理学者、経営倫理学者の望月雅和[4]がいる。
旭川 LIVE JAM には、`86・88・89・91・92年に出場。`86は ルー・ドナルドソン・カルテット の一員として参加。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム(リーダー作品)
[編集]発売日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | タイトル | 備考 |
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1970年3月1日 | 日本コロムビア | LP | XMS-10024 | COUNTRY DREAM | |
1979年 | YS-7516 | ||||
2007年2月21日 | CD(紙ジャケ) | COCB-53631 | 2007年デジタルリマスター盤 | ||
2014年8月20日 | CD | COCB-54116[5] | |||
1971年 | ビクター | LP | JMC-5036 | Rock Joy In Guitar | |
2018年11月28日 | SHM-CD | VICJ-70048[6] | |||
配信 | |||||
1972年 | 日本コロムビア | LP | XMS-10037-J | Babylonia Wind | |
2007年3月16日 | CD(紙ジャケ) | PCD-7286[7] | |||
2015年8月12日 | LP | HMJY-104 | |||
1972年4月25日 | LP | JDX-69 | GUITAR METHOD | ||
2012年10月10日 | CD | COCB-54025[8] | |||
1973年10月25日 | Kiva | LP | KV-102 | ライブ※六本木 Mingos Musicoにて収録 | |
1975年5月25日 | 日本コロムビア | LP | KZ-7505 | OUR TIME | |
2012年9月5日 | CD | COCB-54013[9] | |||
1978年6月5日 | 東芝EMI/EXPRESS | LP | ETP-80020[10] | L.A. Master | |
1981年1月25日 | 日本コロムビア | LP | YF-7007 | ONE MORE | |
2013年6月26日 | CD | COCB-54064[11] | |||
2001年5月23日 | Highways Records | CD | TKCU-77085 | CIRCULATION |
参加作品
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d CDジャーナル (2017年6月27日). “アーティスト詳細 杉本喜代志”. タワーレコード. 2020年2月6日閲覧。
- ^ a b “フランキー堺しのぶ企画続々 ボーカルアルバム復刻”. 朝日新聞・夕刊: p. 11. "彼自身が選曲や楽団編成を決め、ピアノの八木正生、ギターの杉本喜代志、サックスの西条孝之介ら当時のトッププレーヤーを起用、自らドラムもたたいている。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ CDジャーナル (2017年6月27日). “アーティスト詳細 杉本喜代志”. タワーレコード. 2020年2月6日閲覧。
- ^ 望月雅和編著『山田わか 生と愛の条件』現代書館 。
- ^ “杉本喜代志 カントリー・ドリーム”. 日本コロムビア. 2020年2月6日閲覧。
- ^ “杉本 喜代志”. ビクターエンタテインメント. 2020年2月6日閲覧。
- ^ “バビロニア・ウインド 杉本 喜代志”. billboard JAPAN/阪神コンテンツリンク. 2020年2月6日閲覧。
- ^ “杉本喜代志 ギター・メソード”. 日本コロムビア. 2020年2月6日閲覧。
- ^ “杉本喜代志 アワー・タイム”. 日本コロムビア. 2020年2月6日閲覧。
- ^ Kiyoshi Sugimoto – L.A. Master - Discogs (発売一覧)
- ^ “杉本喜代志 ワン・モア”. 日本コロムビア. 2020年2月6日閲覧。