コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

杉野昭夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すぎの あきお
杉野 昭夫
生年月日 (1944-09-19) 1944年9月19日(80歳)
出生地 日本の旗 北海道
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 アニメーターアニメ監督
ジャンル アニメーション
活動期間 1963年 -
主な作品
キャラクターデザイン・作画監督
あしたのジョー
エースをねらえ!
家なき子
火の鳥
ブラック・ジャック
雪の女王 The Snow Queen
ブラック・ジャック21
テンプレートを表示

杉野 昭夫(すぎの あきお、1944年9月19日 - )は日本アニメーターアニメ監督北海道北見市出身[1][2]札幌市生まれ)。

概要

[編集]

テレビアニメの黎明期から制作現場に入り、以後ほとんどブランクを経ず、足掛け45年以上にわたって活動している。特に『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『家なき子』『宝島』などに代表される、出崎統監督とコンビを組んでキャラクターデザイン作画監督を務めた作品群が著名。

出崎は2007年時のインタビューで、杉野の資質について「杉野昭夫がすごいのは、描くものが全部生きているからなんだよ。だからキャラクターに真実味がある」[3]、「杉野昭夫の描いた丈(『あしたのジョー』)の目を見たときに、『ここまで表現できるのか!だったらもっとやれる!』って思った。どう描いたらいいのかわかんねえぐらいのものを、これまで描いたことのないようなものを彼に描かせたいってね。いい絵を見ると、文字や理屈では表現できないものも表現できるっていう可能性がどんどん広がる」[4]と述べている。「アニメ界の黄金コンビ」と称された出崎・杉野作品に多数参加した大橋学は、2人の仕事上の関係を「相思相愛」「第3の人は要らないんです」と評した[5]

杉野の線描は、ある者は硬質と評し、またある者は柔らかいと評する独特のタッチ。映画『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』などで杉野と仕事をした手塚眞は、杉野の絵柄を自在に変えられる技術を指摘している[6]。たとえば手塚治虫原作のキャラクターデザインにおいては、『ブラック・ジャック』では原作と異なる印象の劇画調の絵柄、『ユニコ』『ジャングル大帝 劇場版』などでは原作のイメージを踏まえた曲線的な絵柄と、スタイルを使い分けている。

丸山正雄によれば、『あしたのジョー』制作時、杉野は作画監督として原画修正作業を行うにあたって絵コンテを再チェックせず(すべて頭の中に入っている)、また原画家による衣装や小道具の描き間違いも完璧に直していたという[7]。杉野自身によると、『宝島』最終回でジムとシルバーが再会するシーンの作画修正を、涙を流しながら行ったとのこと[8]森本晃司は、ときに杉野が悲しいシーンの作画修正作業を泣きながら行うことについて、「杉野さんは、コンテに目を通して、このカットはどういう意味かって分かってるから、それだけ思い入れられるんだろうね」と述べている[9]

経歴

[編集]

小学3年生で手塚治虫の漫画に熱中[10]。高校2年生の頃より貸本漫画誌『街』『影』などに「杉野アキオ」の名で投稿し、劇画家を目指す。月に20ページぐらいの作品を2作は投稿するペースで[11]、入選は2回だったという[12]1964年虫プロダクションに所属していた真崎守から、アニメーターとして同社に入社するよう手紙で誘いを受ける。真崎は、貸本劇画誌の投稿欄に掲載された杉野の手によるカットを見て「サンパク眼にゲジゲジ眉の画風がはやっている時期に、そうではない、やわらかい描線で描かれたキャラクターだった」ことが印象に残ったと述べている[13]

同年に虫プロに入社し、『鉄腕アトム』第84話で動画としてデビュー。『ジャングル大帝(第1作)』で動画 / 原画を経た後、1966年の『ジャングル大帝 進めレオ!』第10話で実質的な作画監督デビュー[14]。虫プロで杉野より8か月後輩となる金山明博は、彼が入社した1965年時点で、杉野が先輩アニメーターの注目を集める存在だったと証言する[15]。杉野自身はこの時代の仕事の先生として平田敏夫村野守美の名を挙げ[16]、平田は「どんなにコケても怒ったりしなかった」、村野には「モノを創るのはこうするのだと、男らしくキッチリ言ってもらえ」たと感謝の意を述べている[17]

杉野は虫プロに入社する前から貸本で出崎統の漫画を読んでおり、憧れていた[18]。出崎との仕事上の接触は、1968年の『わんぱく探偵団』で各話演出=出崎、作画=杉野の回が数回あったのが最初だが、初めて互いを直接的に意識したのは、1969年の日米合作『フロスティ・ザ・スノーマン〜温かい雪だるま』の制作時に机を並べて原画を描いたときであった。杉野は長髪の頭を机に突っ伏して絵を描く出崎を見て「寝ているのか」と思い[18]、出崎は杉野の作画に「やたらうまい」と感心した[19]のが第一印象だったという。

1970年の『あしたのジョー』で、監督が出崎、作画監督が杉野(金山明博、荒木伸吾と共同)という布陣が本格的に実現した。当時虫プロの新人だった安彦良和は、『ジョー』制作班について「虫プロの質のいい連中が集まっていた」と語っている[20]1972年には『ジョー』班の丸山正雄、出崎、川尻善昭らと共にマッドハウスの設立に参加。以降、マッドハウス時代は東京ムービー東京ムービー新社作品を中心に出崎とのコンビで多くの作品を手がけたが、他にもズイヨー映像日本アニメーションタツノコプロ東映動画などの作品にも作画監督や原画で多数参加している。当時杉野が描いた『科学忍者隊ガッチャマン』の原画を見たことがある大橋学は、「杉野さんが描く『ガッチャマン』がキャラ表(設定書)よりいいんですよ。(杉野さんの実力は)凄いとは思っていたけど、直に見るともっと凄い」と述べている[21]

1980年、『あしたのジョー2』の制作に際して出崎と共にマッドハウスを退社、スタジオあんなぷるを設立。杉野自身が明らかにしたところでは、当時マッドハウスでは作品を2本以上並行して制作していたが、『ジョー2』のみに集中したいと主張した出崎・杉野と、経営上の理由からそれを認めなかった会社側が決裂したとのこと[22]。あんなぷるでは森本晃司、福島敦子、大塚伸治らを育成した。1980年代後半から1991年までは海外との合作にも多数参加し、1993年以降は手塚プロダクション制作の作品を中心に活動している。2000年代にはキャラクターデザイン / 作画監督だけでなく、1970年代以来となる「原画」の役職もいくつかの作品で担当。さらに、2003年の劇場用映画『ぼくの孫悟空』では、自身初となる監督を務めている。

参加作品

[編集]

テレビアニメ

[編集]
1963年
1965年
1966年
1968年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
  • 宝島( - 1979年、作画監督)
1979年
1980年
1982年
1983年
1984年
1986年
1989年
  • レポーター・ブルース(1989年、キャラクターデザイン)[注釈 2]
1991年
1993年
  • ヒロシマに一番電車が走った 〜300通の被爆体験手記から〜(キャラクターデザイン)
1997年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2015年
2018年
2019年
2024年

劇場アニメ

[編集]
1969年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
  • おしん(キャラクターデザイン)
1986年
1987年
1996年
1997年
2003年
2005年

日米合作作品

[編集]
  • Frosty The Snowman(1969年12月7日、原画)
  • The Mad, Mad, Mad Comedians(1970年、原画)
  • Tomfoolery(1970年、絵コンテ清書)
  • Mr. Toad(1970年、原画)
  • Sweet Sea(1985年、キャラクターデザイン・作画監督)
  • Disney's Gummi Bears(1989年、作画監督)

OVA

[編集]
1986年
  • 那由他(キャラクターデザイン・作画監督)
1987年
1988年
1989年
1990年
1992年
1993年
1998年

その他

[編集]
制作年不明
  • ケンとすてきな仲間(パイロットフィルム、作画)
1969年
1974年
1975年
1976年
  • 幸せは安全と共に(PR映画、原画)
1981年
  • 電話の天使、電話の悪魔 電話のマナーは思いやり(RR映画)
  • SPACE ADVENTURE COBRA(英語版パイロットフィルム、作画)
1987年
  • リトル・ニモ(パイロットフィルム、キャラクターデザイン・作画監督)
1994年
  • オサムとムサシ(キャラクターデザイン・作画監督)
1995年
  • 都会のブッチー(作画監督)
  • 昆蟲つれづれ草(作画監督)
1996年
  • オツベルと象(ハイビジョンテスト映像、キャラクターデザイン・作画監督)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 日本では1990年8月より放送。
  2. ^ 日本では1991年10月から11月まで放送。
  3. ^ 2018年1月21日放送分Aパート「やまんば堂」のみ。

出典

[編集]
  1. ^ 「漫画家 層厚い道内勢*13日から芸術の森で「大マンガ展」*創作の跡残す原稿 掲載誌より大きく」北海道新聞、2013年7月10日朝刊全道9頁
  2. ^ 「<みずなら>人こそ地域の財産」北海道新聞、2013年8月31日朝刊オホーツク版24頁
  3. ^ 『DIRECTOR'S MAGAZINE』No.113(クリーク・アンド・リバー社、2007年5月15日発行) P.20
  4. ^ 『DIRECTOR'S MAGAZINE』No.113 P.16
  5. ^ WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう animation interview 大橋学(3)
  6. ^ 虫ん坊:手塚眞『森の伝説』インタビュー
  7. ^ 『杉野昭夫作品集』(講談社、1982年3月15日発行) P.99
  8. ^ 『杉野昭夫作品集』 P.81
  9. ^ WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう animation interview 森本晃司(1)
  10. ^ 『杉野昭夫作品集』 P.92
  11. ^ 『杉野昭夫作品集』 P.102
  12. ^ 『動画王』Vol.7(キネマ旬報社、1998年12月25日発行) P.141
  13. ^ 『杉野昭夫作品集』 P.93
  14. ^ 『動画王』Vol.7 P.144
  15. ^ 『杉野昭夫作品集』 P.94
  16. ^ 『動画王』Vol.7 P.142
  17. ^ 『杉野昭夫作品集』 P.114
  18. ^ a b 『DIRECTOR'S MAGAZINE』No.113 P.29
  19. ^ 『DIRECTOR'S MAGAZINE』No.113 P.21
  20. ^ 『動画王』Vol.7 P.165
  21. ^ WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう animation interview 大橋学(2)
  22. ^ 『動画王』Vol.7 P.154
  23. ^ エースをねらえ!”. トムス・エンタテインメント. 2016年6月1日閲覧。
  24. ^ 大空魔竜ガイキング”. 東映アニメーション. 2016年6月1日閲覧。
  25. ^ ジェッターマルス”. 東映アニメーション. 2016年5月23日閲覧。
  26. ^ スペースコブラ”. トムス・エンタテイメント. 2016年5月22日閲覧。
  27. ^ キャッツ・アイ(第1期) : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月6日閲覧。
  28. ^ 源氏物語千年紀 Genji”. トムス・エンタテイメント. 2016年5月22日閲覧。
  29. ^ エースをねらえ! 劇場版”. トムス・エンタテインメント. 2016年6月1日閲覧。
  30. ^ スペース アドベンチャー コブラ”. トムス・エンタテイメント. 2016年5月22日閲覧。
  31. ^ “ゴルゴ13”. トムス・エンタテイメント. https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1980s/046301.html 2016年5月5日閲覧。 
  32. ^ ブラック・ジャック 劇場版”. 手塚治虫公式サイト. 2016年5月6日閲覧。
  33. ^ ぼくの孫悟空”. 手塚治虫公式サイト. 2016年5月21日閲覧。
  34. ^ エースをねらえ!2”. トムス・エンタテインメント. 2016年6月1日閲覧。
  35. ^ エースをねらえ!ファイナルステージ”. トムス・エンタテインメント. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月1日閲覧。