李奎報
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李奎報 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이규보 |
漢字: | 李奎報 |
発音: | イ・ギュボ |
日本語読み: | り けいほう |
2000年式: MR式: |
I Gyubo I Kyupo |
李 奎報(り けいほう[1]、イ・ギュボ、大定8年12月16日(1169年1月15日) - 淳祐元年9月2日(1241年10月8日))は、高麗の文人。本貫は黄驪(現京畿道驪州市)[2]。字は春卿、号は白雲。高麗の李太白と呼ばれた。
略歴
[編集]父は戸部郎中を務めた李允綏。幼時より文筆の才能に優れ、9歳で奇童と呼ばれ、さらに四書五経・仏教・道教の書物を読みこなし、詩文に長けたという。8000を超える詩作は『東国李相国集』に収められている。また説話文学である「白雲小説」も有名である。呉世才が没した後、江左七賢への参加を李湛之から打診されたが、「今の七賢の中には晋の王戎のような鑑識眼のある者はいない」とし、固辞した。
科挙に及第後、1199年、全州の司録に任命され、崔瑀政権のもとで政治家としても活躍し、1232年にはモンゴルの侵入にあたって、オゴデイに宛てて書状を提出し撤兵させたといい、その功績によって枢密副使吏部尚書・集賢殿大学士参治政事を拝命した。
代表的な詩作
[編集]- 東明王篇 - 高句麗の建国神話を題材とした叙事詩。人々の愛国心と民族の誇りとを促した。
- 天宝詠史 - 唐の玄宗を題材とした長編詩。その退廃的な生活が国を滅ぼしたことを歌い、以て高麗王朝への批判とした。
- 家圃六詠 - 「冬に備えて瓜や蕪を塩漬けにする」という表現が見られ、キムチ(の原型)の朝鮮での文献初出例とされる。
脚注
[編集]- ^ “李奎報(りけいほう)”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、世界大百科事典 第2版、日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年10月21日閲覧。
- ^ “이규보(李奎報)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年1月12日閲覧。