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村井弥兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3代 村井 弥兵衛(むらい やへえ、1844年7月15日(弘化元年6月1日[1][2])- 1911年明治44年)2月17日[3])は、明治期の実業家政治家貴族院多額納税者議員。旧名・源吾[1][2]、井弥3代当主[4]

経歴

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陸奥国岩手郡、のちの岩手県盛岡市で、村井道専の長男として生まれた[1][2]。1875年(明治8年)小坂鉱山及び釜石鉱山御用達となる[3]。1879年(明治12年)家督を相続し弥兵衛に改名した[1][2]

呉服太物商に加えて、1884年(明治17年)味噌醤油醸造業を営み[4]、1904年(明治37年)東京支店を開設した[4]。1896年(明治29年)盛岡銀行の創設に参画し[4]頭取[注 1]に就任した[1][3]。その他、北上取締役、岩手県農工銀行取締役、盛岡電気取締役、三陸汽船合資会社社員、日清紡績監査役などを務めた[1][2][3]

政界では、盛岡市会議員[1]、同名誉職参事会員に在任[3]。1904年(明治37年)貴族院多額納税者議員に互選され[2]、同年9月29日[5]から1908年(明治41年)7月8日まで在任した[3][6]

1911年明治44年)2月17日、丹毒により死去した[7]

親族

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  • 孫 4代・村井弥兵衛(旧名・弥七郎、社会事業家)[8][9]
  • 養子(娘の夫)・村井昌八(旧名・関昌八、盛岡倉庫、盛岡電燈、花卷溫泉電氣鐵道各(株)取締役、第九十銀行(株)監査役)[10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』1067頁では代表取締役会長。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第2版』724頁。
  2. ^ a b c d e f 『大日本人物誌』む之部27-28頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』223頁。
  4. ^ a b c d 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』1067頁。
  5. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  6. ^ 『官報』第7510号、明治41年7月9日。
  7. ^ 大植 1935, 1203頁.
  8. ^ 『人事興信録 第9版』ム15頁。
  9. ^ 『岩手人名辞典』231頁。
  10. ^ 『『人事興信録』』(第8版)人事興信所、1928年。 

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1908年。
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典第3巻〉、角川書店、1998年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。