村井弥兵衛
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3代 村井 弥兵衛(むらい やへえ、1844年7月15日(弘化元年6月1日[1][2])- 1911年(明治44年)2月17日[3])は、明治期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧名・源吾[1][2]、井弥3代当主[4]。
経歴
[編集]陸奥国岩手郡、のちの岩手県盛岡市で、村井道専の長男として生まれた[1][2]。1875年(明治8年)小坂鉱山及び釜石鉱山御用達となる[3]。1879年(明治12年)家督を相続し弥兵衛に改名した[1][2]。
呉服太物商に加えて、1884年(明治17年)味噌醤油醸造業を営み[4]、1904年(明治37年)東京支店を開設した[4]。1896年(明治29年)盛岡銀行の創設に参画し[4]頭取[注 1]に就任した[1][3]。その他、北上取締役、岩手県農工銀行取締役、盛岡電気取締役、三陸汽船合資会社社員、日清紡績監査役などを務めた[1][2][3]。
政界では、盛岡市会議員[1]、同名誉職参事会員に在任[3]。1904年(明治37年)貴族院多額納税者議員に互選され[2]、同年9月29日[5]から1908年(明治41年)7月8日まで在任した[3][6]。
1911年(明治44年)2月17日、丹毒により死去した[7]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』1067頁では代表取締役会長。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1908年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典第3巻〉、角川書店、1998年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。