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村山哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村山 哲也
名前
カタカナ ムラヤマ テツヤ
ラテン文字 MURAYAMA TETSUYA
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-10-20) 1974年10月20日(50歳)
出身地 東京都
監督歴
チーム
2019 サムットプラーカーン・シティFC
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

村山 哲也(むらやま てつや、1974年10月20日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

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選手時代はプロの経験がなく三菱養和サッカークラブでプレーしていた。引退後は同クラブのコーチを務めるが、この時の教え子に小川佳純がいる[1]。その後、ガンバ大阪でジュニアコーチ、ジュニアユースコーチ、強化部強化担当を歴任。清水エスパルスでチーフスカウトを務めた後、ジェフユナイテッド千葉で育成普及部コーチ、強化部スカウトを歴任し、保善高等学校特別コーチを経て、2012年にサンフレッチェ広島のユースコーチに就任する[2][3]。後に強化部スカウトに就任し松本泰志らを発掘する[1]。2018年にティーラシン・デーンダーが広島に期限付き移籍するが、彼との出会いがタイ行きに影響を与える[4][5]

日本での22年のキャリアを経て、2019年1月にタイ・リーグ1サムットプラーカーン・シティFCのテクニカルダイレクターに就任[3][5]。1月28日、監督のスラポン・コンテープ英語版とともにチョンブリー県で開催されたAFCプロフェッショナル・コーチング・ディプロマ英語版の講習会に参加。この講習会には他に加藤光男薛琦鉉金南一らが参加している[6]

6月14日、前任者のスラポンの退任に伴い、サムットプラーカーン・シティFC監督に就任[7][4]。リーグ6位でシーズンを終了して監督職を退任。鹿島アントラーズ大宮アルディージャを指揮した石井正忠が後任となった。

所属クラブ

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指導歴

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出典

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  1. ^ a b 昌平高校・松本泰志選手 サンフレッチェ広島入団記者会見 会見後の村山哲也・サンフレッチェ広島強化部スカウトコメント”. J SPORTS (2016年10月6日). 2019年9月14日閲覧。
  2. ^ 【広島】ユースコーチに村山氏”. 日刊スポーツ (2012年4月2日). 2019年9月14日閲覧。
  3. ^ a b 村山哲也氏 サムットプラーカーン・シティFC(タイリーグ1部)クラブダイレクター就任のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2019年1月16日). 2019年9月14日閲覧。
  4. ^ a b 『小規模クラブを躍進させる手腕。タイサッカーの発展に貢献する男、村山哲也』”. フットボール・トライブ (2019年8月26日). 2019年9月14日閲覧。
  5. ^ a b 佐々木裕介 (2019年9月11日). “タイ1部リーグで旋風を巻き起こす日本人指導者。快進撃をもたらした指揮官が明かす舞台裏とは”. サッカーダイジェスト. 2019年9月14日閲覧。
  6. ^ สมาคมฯ จัดอบรมโค้ชหลักสูตร โปร ไลเซนส์ รุ่นที่ 2 ณ จังหวัดชลบุรี” (タイ語). タイサッカー協会 (2019年1月28日). 2019年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
  7. ^ 元サンフレッチェ広島強化部の村山哲也氏がタイリーグ1部サムットプラカーン・シティの監督に就任。現在4位、リーグタイトルも射程圏”. フットボール タイランド (2019年6月15日). 2019年9月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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