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伊勢参宮神乃賑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東の旅から転送)
女芸人お杉・お玉のくだりに登場する間の山(伊勢参宮名所図会より) 寛政9年(1797)

伊勢参宮神乃賑』(いせさんぐうかみのにぎわい)、通称『東の旅』(ひがしのたび)は、喜六と清八による伊勢参りの道中を描いた一連の上方落語である。『伊勢参宮神之賑』の表記もある。この『伊勢参宮神乃賑』(東の旅)や『兵庫船』(西の旅)などの旅ネタと呼ばれる一連の道中噺は、元々基礎訓練のための前座噺で、前座が張扇と小拍子を用いて賑やかにしゃべる。3代目桂米朝一門では入門するとまずこの『東の旅』より『発端』を習い覚える[要出典]。これにとどまらず、上方落語では『発端』を初高座の演目とする落語家が多いとされる[1]

内容

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大坂から奈良を通って伊勢へ(『発端』-『奈良名所』-『野辺』-『煮売屋』-『七度狐』-『うんつく酒』-『常太夫義太夫』-『鯉津栄之助』-『三人旅浮之尼買』)、伊勢神宮にお参りをし(『間の山お杉お玉』『宮巡り』)、近江京都を廻って大坂に戻ってくるまでの道中(『軽石屁』-『これこれ博打』-『高宮川天狗酒盛』-『矢橋船』-『宿屋町』-『こぶ弁慶』-『走り餅』-『京名所』-『三十石夢乃通路』)が、多くの演目によって構成されている。『野辺』から『法会』-『もぎどり』-『軽業』-『軽業講釈』と続ける道程もある。

ほとんどの演目は喜六と清八の二人が主人公であるが、『軽業講釈』『こぶ弁慶』『地獄八景亡者戯』(登場する軽業師が『軽業』と同一人物とすれば)などは主人公が異なり、『東の旅』に接続された「外伝」とも位置づけられる噺である。

タイトル 簡単なあらすじ
(前口上) 「ようよう上がりました私が初席一番叟で御座います」〜小拍子と張扇を用いての口上。
発端 喜六と清八が伊勢参りに出かける。大坂から出立し、東へ、玉造〜深江〜暗峠
奈良名所 旅は奈良に入る。
大仏の眼 大仏の中に落ちてしまった眼を直そうと子供が大仏の中に入って…。『奈良名所』でサゲる時に使われる小噺。
野辺 野辺へ出てくると、伊勢参りからの帰りとみられる陽気な一行とすれ違う。清八が後付けを始め…。
煮売屋 喜六と清八が、変な煮売屋で休息する。
七度狐 ひょんな事からの恨みをかい、何度も何度も化かされてしまう。
うんつく酒 造り酒屋で暴言を吐いた後、酒屋の姦計に引っかかって捕らえられてしまうが…。清八の弁舌が見物。
常太夫義太夫 義太夫語りと三味線弾きだと偽り、土地の庄屋に歓待してもらうことに。
法会 村の鎮守様の法会に遭遇。露天商の描写から、がまの油売りの口上に入る。現在は『がまの油』として独立して演じられることがほとんど。
もぎどり 続いてうさんくさい見せ物小屋のインチキ興行でひどい目にあう。現在はしばしば『軽業』の前半部分として演じられる。
軽業 軽業の舞台を見学する。指二本と扇子で軽業の模写をする芸が見どころ。
軽業講釈 軽業の隣は講釈場。講釈師が一席語り始めるが、隣の騒音で聞こえなくなってしまい、軽業師と喧嘩になる。
鯉津栄之助 大和三本松の鹿高の関で、領主の倅の名に通じる「こいつぁええ」と言う言葉を禁じられる。ところが喜六はその禁句を言ってしまい…。
三人旅浮之尼買 源兵衛を加え、三人で伊勢明星の宿に宿泊。女郎を買う事になるが喜六ひとりが尼さんに当たってしまい…。『三人旅』とも。
間の山お杉お玉 伊勢間の山にいた女芸人に、他所では価値のなかった仙台銭を投げつける。
宮巡り 伊勢神宮の名所巡り。4代目桂文我によって蘇演された。
軽石屁 鈴鹿峠で清八に家来扱いされた挙句、籠賃を騙し取られた喜六が、珍妙な方法で意趣返しをする。
これこれ博打 賭場で身ぐるみ剥がれた後、神様のふりや、盗人に会ったふりなどしながら、飲み食いをせしめる。
高宮川天狗酒盛 多賀大社に向かう道中、宿を夜逃げし、盗人の一味に出会った二人は…。
矢橋船 近江矢橋大津を結ぶ船の中で、平家の秘宝である名刀「小烏丸」を探す侍二人と遭遇。
宿屋町 大津に宿泊。客引き女と二人のやり取りが見どころ。
こぶ弁慶 宿屋の壁土を食べた男が、壁の中に塗りこめられていた大津絵武蔵坊弁慶に憑依される。初代笑福亭吾竹作と伝える。
走り餅 逢坂の関で乞食に絡まれた侍を助けた二人は、名物走り餅をおごってもらうが、侍は突然しゃっくりが止まらなくなり…。
京名所 『三十石夢乃通路』の発端として演じられる。
三十石夢乃通路 京と大坂を結ぶ三十石舟の船上を描く。

エピソード

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6代桂文枝は、入門間もない1967年に、作中の旅を体感するため実際に大阪から5日かけて徒歩で伊勢参宮を実行した[2][3]。2011年には弟子の桂三輝も実行している[2][4][5]

脚注

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  1. ^ “長井好弘 演芸おもしろ帖 「愛宕山」「東の旅」「仔猫」のどこが「ウソ」なのか~~異才・桂文鹿の面白マジメな落語検証”. 読売新聞. (2022年1月21日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/nagaieye/20220118-OYT8T50015/ 2022年8月9日閲覧。 
  2. ^ a b 桂三枝 (2011年11月25日). “伊勢参り”. 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGKDZO36761950V21C11A1MM0000/?unlock=1 2021年12月19日閲覧。 (全文閲覧には会員登録が必要)
  3. ^ “桂三枝さん、「笑い」奉納-桂文枝襲名で伊勢・猿田彦神社へ”. 伊勢志摩経済新聞. (2012年2月22日). https://iseshima.keizai.biz/headline/1341/ 2021年12月19日閲覧。 
  4. ^ “三重県2代目住みます芸人・桂三輝が伊勢まで徒歩の旅へ”. お笑いナタリー. (2021年11月14日). https://natalie.mu/owarai/news/59602 2021年12月19日閲覧。 
  5. ^ “カナダ人落語家・桂三輝 神宿る伊勢に移住”. 日本テレビ放送網. (2011年11月14日). https://news.ntv.co.jp/category/culture/286910 2021年12月19日閲覧。 

関連項目

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