蝦蟇の油 (落語)
表示
蝦蟇の油(がまのあぶら)は古典落語の演目の一つ。
概要
[編集]元々は『両国八景』という、風俗描写を中心とした長編落語(あらすじ:酔っ払いの男が居酒屋でからむのを、友人がなだめて両国広小路に連れ出し、男が大道の物売りたちをからかう)の後半部だったものが、独立して一席の落語となった。主な演者には、3代目春風亭柳好や6代目三遊亭圓生、林家彦六などがいる。
なお、『両国八景』の前半部分は3代目三遊亭金馬が『居酒屋』というタイトルで独立させ、自身の十八番とした。
ガマの油売り
[編集]→「ガマの油」も参照
香具師は大抵、白袴に鉢巻、タスキ掛けの服装だった。腰に刀を差し、膏薬が入った容器を手に持ち、そばに置いた台の上にひからびたガマガエルを乗せ、口上を言っていた。
あらすじ
[編集]主人公は口上を蕩々と語り、腫れ物が治る上に切り傷の血もぴたりと止まると効能をうたってガマの油を売る男。儲けた金で酒を飲み、ベロベロに酔って両国橋を通りかかると、ここでもうひと儲けできそうだと件の口上をしゃべり始める。しかし酒のせいで呂律が回らず、話す内容も段々おかしくなってくる。血止めの効能を見せるため自分の腕に刀を当てると、本来なら切り傷に見せるトリックを使うはずが本当に切ってしまった。「驚くことはない、この通りガマの油をひと付け付ければ痛みが去って血も……止まらねえ。ふた付け付ければ……トホホ、お立ち会い」「何だ?」「お立ち会いの中に血止めはないか」
バリエーション
[編集]- 短い噺のため、マクラで、両国広小路や回向院境内のインチキ見世物(銭を客からもぎ取ってしまえば、あとは一切構わない、というところから、「モギドリ」と呼ばれる)の小屋を、面白おかしく紹介し、油売りの口上に入る場合が多い。同様のモギドリが紹介される演目に、『軽業』『一眼国』『花見の仇討ち』などがある。
- 頼朝の骸骨
- 「あの鎌倉幕府を興した、源頼朝公の骸骨だよ」「偽物ですな、これ」「どうしてです?」「頼朝って、頭が大きかったんでしょう? 川柳にも『拝領の頭巾を梶原縫い縮め』とある」「ああ、これは幼少のみぎりの骸骨でして」
- 八間の大灯篭
- 八間は約14.55メートル。案内人に連れられ、小屋の中をとおり、裏口から外に出された。「はい、トォーローゥ(「通ろう」/「灯篭」)!」
- 目が三つ、歯が二本の化物
- 小屋の中に入ったら、ただ下駄が一つ落ちているだけ。
- 身の丈一間の大イタチ
- 血(に模した絵の具)の塗りつけられた大きな板が飾られていて、「板血」。
- 天竺のクジャク
- 以上のようなものを見せられた客が、だまされた、と文句を言っても、興行師は決まって「取ったらもぎ取り、変わろ、変わろ」と言ったという。
- 3代目春風亭柳好は「歌い調子」と呼ばれるリズミカルな口跡で人気があり、この演目は頻繁に演じられた。口上は立て板に水の名調子であったといわれる。柳好が寄席中継の録音技術が発達する直前に没したため、この演目の音源はスタジオ録音のSPレコードしか残されていないと考えられていたが、2009年、日本ビクターとコロムビアから2種類のライブ音源CDが発売された。
- 5代目古今亭志ん生が朝太のころの正月に、東京の二ツ目という触れ込みで、浜松の寄席を巡業しているときにこの演目を出し、大喝采を受けたが、翌朝の起き抜けにいきなり、宿に4、5人の男に踏み込まれた。男たちいわく「やいやい、俺たちゃあな、本物のガマの油売りで、元日はばかに売れたのに、二日目からはさっぱりいけねえ。どうも変だてえんで調べてみたら、てめえがこんなところでゴジャゴジャ言いやがったおかげで、ガマの油はさっぱりきかねえってことになっちまったんだ!!」[1]。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 高田馬場 (落語) - 本作と同じくガマの油売りの口上が見せ場の1つ