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かぼちゃ屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

かぼちゃ屋(かぼちゃや)は古典落語の演目の一つ。別題は「唐茄子屋[1]」。原話は、安楽庵策伝元和2年に出版した『醒睡笑』第五巻の「人はそだち」。

元々は「みかん屋」という上方落語の演目で、大正初年に4代目柳家小さんが東京に持ち込んだ[2]。主な演者として、5代目柳家小さん7代目立川談志などがいる。

上方では「みかん屋」の題で2代目桂ざこば一門が多く演じる。ざこばは6代目笑福亭松鶴から直接教わった。

あらすじ

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二十歳になっても仕事をせず、ぶらぶらと遊んでいる与太郎「頭に霧がかかった」奴で、何をやらせてもかえって事をおかしくしてしまうため、面倒を見ている佐兵衛叔父さんは常にハラハラさせられている。

「二十歳になってもぶらぶらと遊んでいるんだって? お前のお袋がな、『何か商売を覚えさせてくれ』と言ってたが、何かやるか?」
「いいよ、そんなの」
「いい訳があるか。だいたい、遊んでちゃ飯が食われないぞ。なんで飯を食うか知ってるか?」
「箸と茶碗」
「そうじゃないよ…」
「あ、ライスカレーはシャジで食う」

ひっくり返りそうになった叔父さんだが、何とか気を取り直して「かぼちゃ」を売ってはどうかと持ちかけた。

「元値が大きい方が十三銭、小さい方が十二銭だ。勘定しやすいように、大小十個ずつ籠に入っている。これは元値だから、よく上を見て(掛け値をして)売れよ!」

と、よく言い聞かせて送りだした。

「暑い…暑い…」

文句を言いながらも、何処かの路地裏に通りかかった与太郎。いきなり「かぼちゃあ」と大声を張り上げたので、そこにいた男は目を白黒。

「かぼちゃ屋か。かぼちゃは《唐茄子》っても言うから、『唐茄子屋でござい』と言った方が良いぞ」
「フーン。『唐茄子屋でござい』ッ!さあ、買え。」
「俺は銭湯に行くんだ。銭湯にかぼちゃを持っていって如何するんだ」
「湯に浮かべておくんだ。一緒に湯につかっていると、どちらがカボチャかわからない」
「張り倒すぞ!!」

たたき出されてしまった。しばらく歩いていると、また何処かの路地裏に通りかかった。また「かぼちゃあ」と大声を張り上げていると、今度は親切そうな男が声をかけてくる。

「唐茄子か。大二つくれ。三十銭で釣りはあるか?」
「釣りはねえから、三十銭にまけとかあ」
「上にまける(値上げする)なよ…」

見かねた男は、相長屋の衆に売りさばいてくれた。しかし、当の与太郎は「上を見て」の意味がわからないから、元値を告げて文字通り平和に空を見上げている。

「売り切れたぞ! 安いからなぁ…」
「フーン」
「『フーン』? ありがとうございますとか何とか言え」
「どういたしまして」

がっくりと来るお客を残し、与太郎は意気揚々とご帰還。

待っていた叔父さんは、ようすを聞いて

「《上をみろ》って言われて、何もしないで空を見上げていた? 道理で元値しかないわけだ」

そんなことじゃ女房子が養えないから、もう一度行ってこいと与太郎を送り出す。
元のところへ戻ってきて、さっきのおじさんに「大将、唐茄子買って!」

「唐茄子ばっかり食えるかよ。まぁ、まあ安いからいいか。十二銭のをまた三つ」
「今度は十三銭だよ」
「急に値上がりしたなぁ…」

さっきは『上を見ろ』(掛け値)の意味を知らなかったと聞き

「おめでたい奴だなぁ…。お前、いくつだ?」
「えーと、六十!」
「六十!? 如何見たって二十歳ぐらいだぞ?」
「元は二十で、四十は掛け値だ」

「歳に掛け値する奴があるか」
「掛け値しないと、《女房子が養えない》」

唐茄子

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かぼちゃを小型化し、甘味を強くした改良品種。明和年間から出回りはじめた。

「かぼちゃ(唐茄子)野郎」といえば、「安っぽい間抜け」の意味になるため、最初の路地裏で男が怒ったのも無理は無い。

脚注

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  1. ^ 唐茄子屋政談」と混同されるのを避けるため、ほとんど使われていない。
  2. ^ これにはあるエピソードがあり、詳しいことはこちら[1]を参照。