シャン州東部民族民主同盟軍
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(東シャン州民族民主同盟軍から転送)
民族民主同盟軍 | |
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မြန်မာအမျိုးသား ဒီမိုကရက်တစ် မဟာမိတ်တပ်မတော် | |
民族民主同盟軍旗 | |
活動期間 | 1989年 | –現在
活動目的 | シャン民族主義 |
指導者 |
ウー・サイリン Sao Hsengla San Pae |
本部 | モンラー |
活動地域 | シャン州第4特区 |
兵力 | 3,000-4,000[1][2] |
上位組織 | 平和団結委員会 |
前身 | ビルマ共産党 |
関連勢力 |
ミャンマー民族民主同盟軍 カチン新民主軍 ワ州連合軍 |
敵対勢力 | ミャンマー連邦 (2011年まで) |
民族民主同盟軍 (みんぞくみんしゅどうめいぐん、英語: National Democratic Alliance Army、略称NDAA)[注 1]はミャンマー・シャン州の武装勢力である[5]。同軍は平和団結委員会(中国語: 和平团结委员会、中国語略称:和团会、英語: Peace and Solidarity Committee、英語略称:PSC)の軍事部門である。
歴史
[編集]モンラ地区は1960年代まで複数の軍閥の支配下にあった[6]。ビルマ共産党の支配下に置かれてからは815軍区となり、崩壊後にNDAAが結成された。兵力は3,000-4,000程度である[2][1]。
NDAAは結成直後にミャンマー軍と停戦を行った。停戦後はケシの栽培や麻薬取引が盛んとなった[7]。1997年にNDAAはモンラ地区におけるケシ栽培を禁止し、2011年には新たに停戦条約を締結した[8]。
NDAAはミャンマー民族民主同盟軍 (MNDAA)、カチン新民主軍 (NDA-K)、ワ州連合軍 (UWSA)といった旧CPB系組織と密接な連携を保っている。2008年、ワ州連合軍は、同盟であるNDAAとの接点であることからモンポーを明け渡すことを拒否した[9]。
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “NDAA”. Myanmar Peace Monitor (6 June 2013). 16 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月28日閲覧。
- ^ a b “Armed ethnic groups”. Myanmar Peace Monitor (10 January 2013). 8 May 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月29日閲覧。
- ^ “The National Democratic Alliance Army-Eastern Shan State”. 3 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2017閲覧。
- ^ “Another wrong turn in Mong La”. 3 September 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2017閲覧。
- ^ “NDAA and UWSA deny involvement in Mekong incident”. 1 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2017閲覧。
- ^ South 2008, p. 140.
- ^ Skidmore, Monique; Wilson, Trevor (2007). Myanmar: the state, community and the environment. ANU E Press. p. 69.
- ^ “Neither War Nor Peace - Transnational Institute”. 11 May 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2017閲覧。
- ^ “Home”. 12 September 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2017閲覧。