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東京信託

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東京信託(とうきょうしんたく)は、日本に信託法・信託業法ができる前に創設された日本で最も古い信託会社。大正初期、東京で初となる郊外型分譲住宅地新町住宅を開発した。1926年に日本不動産株式会社と名を変え、現在も存続している。

沿革

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  • 1903年(明治36年) - 東京信託社創業(日本橋本石町に創設)[1]。社主の岩崎一は、元三井組地所部支配人[2]
  • 1906年(明治39年) - 三井系、慶応閥の財界人により東京信託株式会社設立 資本金150万円。岩崎は専務取締役。三井銀行所有の東京都内貸地貸家、華族・資産家所有の土地建物の管理とそれに伴う資金運用の引き受け、その他財産に関する一般の信託業務を謳った[3]
  • 1913年(大正 2年) 5月 - 新町住宅第一回分譲
  • 1913年(大正 2年)11月 - 新町住宅第二回分譲
  • 1915年 ‐ 岩崎一辞任[4]
  • 1916年(大正5年) ‐ 前山久吉が 取締役会長就任[4][5]
  • 1924年(大正13年) - 信託法・信託業法に基づく営業免許取得および業務開始
  • 1926年(大正15年) ‐ 売り上げのほとんどが不動産業であり、信託会社が他にも増えたことから、信託業を廃止し、社名を日本不動産株式会社に改称[6][7][8]。主な目的は公社債株式の仲買業[9]。取締役会長に前山久吉、専務取締役に梅田清、取締役に武智直道台湾製糖社長)、稲葉富三郎、室田義文[10]。大株主は日本徴兵保険浜松銀行共同保全内国貯金銀行、泰平銀行(すべて前山久吉の会社)、前山久吉、武智直道[10][11]

(現在の三井住友信託銀行の前身の三井信託は、あくまで大正13年に施行された信託業法に基づく信託会社としての第一号である)

東京信託株式会社設立の背景

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欧米の財産管理や不動産関係の信託業務を視察して帰国した、三井銀行(現在の三井住友銀行)の岩崎一が、早川・波多野などの同じく三井銀行の重役や門野幾之進などの慶應義塾(現・慶應義塾大学)人脈、財界の支援を得て日本橋本町に設立。[12]

設立総会は交詢社にて慶應義塾長鎌田栄吉議長のもと行われた。[12]

なお、後に新町住宅開発を通して関係を結ぶ玉川電気鉄道の優先株2000株を1906年下期に引き受けている。

創業者

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岩崎一 (いわさきはじめ、1868年生)は、日本メリヤス製造株式会社社長・岩崎亮之輔の長男に生まれ[13]永井小舟の門下で漢学を修め、三井家に入って三井銀行地所係長となる[14]。東京信託社を立ち上げ、株式会社化で專務取締役となる[14]。のち東京市会議員のほか、共同生命保険関西信託日本徴兵保険内国貯金銀行小田原瓦斯玉川電気鉄道の各役員も務めた[14]。岳父に元佐倉藩士で堀田家家令佐治済[15]

脚注

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  1. ^ 東京信託社広告『日本紳士録 第9版』 交詢社 明36
  2. ^ 岩崎一君『立身致富信用公録 第17編』 国鏡社 明37.4
  3. ^ 東京信託広告『東京便覧』津田利八郎 明治協会 明39.12
  4. ^ a b 誕生の歴史日本不動産
  5. ^ 内国貯金銀行『文化事績録 A巻』統計資料協会 昭和9
  6. ^ 東京信託の信託業廃止『事業年鑑 大正16年』事業之日本社 大正15
  7. ^ 大正15年『財界五十年譜 : 中外商業新報社創立五十年記念』 中外商業新報社 大正15
  8. ^ 官報 1926年11月10日
  9. ^ 日本不動産株式会社『文化事績録 A巻』統計資料協会 昭和9
  10. ^ a b 東京信託株式会社『銀行会社要録 : 附・役員録 30版』 東京興信所 大正15
  11. ^ 日本不動産株式会社『文化事績録 A巻』統計資料協会 昭和9
  12. ^ a b 誕生の歴史 - 日本不動産(株)
  13. ^ 岩崎亮之輔『人事興信録』初版 明治36(1903)年4月
  14. ^ a b c 岩崎一『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  15. ^ 佐治済佐倉市教育委員会

参考文献

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  • 「日本不動産100年史」日本不動産株式会社 (2006年)
  • 日本不動産株式会社ウェブサイト 

関連項目

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