東家夢助
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本名 | 永田 誠 ながた まこと |
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生年月日 | 1940年9月22日 |
没年月日 | 2018年3月31日(77歳没) |
出身地 | 日本・東京都中央区 |
死没地 | 日本・北海道函館市 |
師匠 | 五代目柳家小さん |
弟子 | 東家喜夢知 荒到夢形 |
名跡 | 1. 柳家栗の助 (1959年 - 1962年) 2. 柳家小三太 (1963年 - 1966年?) 3. 東家夢助 (1968年 - 2018年) |
活動期間 | 1959年 - 2018年 |
活動内容 | 古典落語 |
配偶者 | 永田慶子 |
所属 | 夢助事務所 道南落語倶楽部 |
東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日[1] - 2018年3月31日[2][3])は函館市在住の落語家[4]。東京生まれ[5]。本名∶田中 誠。道南落語倶楽部所属。
来歴・人物・その他
[編集]1940年、東京都中央区の聖路加国際病院で田中誠として産声を上げる[1]。
1947年、東京都港区立白金小学校に入学[6]、幼いころから落語好きだった。
1953年、明治学院中学校に入学[7]。高校時代は上野にある寄席、鈴本演芸場に通った[5]。高校2年のとき落語家を志す。
1959年、明治学院高等学校を卒業[8]。五代目柳家小さんに弟子入り。7年余り修行する。前座名は師匠初の芸名でもある「栗の助」、4月21日に初高座[9][5]。
1966年、芸に行き詰まり苦悩。函館に移住し、労音専従事務局員として活動開始[5]。
1968年、「東から歴史を作り上げ、夢を持って人を助ける」の義で東家夢助と改名、出前落語活動を開始する[5]。
1969年、函館民族芸能を守る会を発足、所属する。以後東京・大阪の落語家を招き、落語会、函館寄席を主催する一方、函館市内の町内寄席、職場寄席を開催。
1991年、NHK函館放送局発信のラジオ番組で自叙伝を放送[8]。
1992年、直木賞作家・高橋義夫著「鄙風堂々」で紹介される[8]。
2018年3月に亡くなった。77歳没[2]。5月26日にお別れの会が開かれた[11]。
- 著書に、『はい、出前落語です』がある。
- 弟子に、東家喜夢知(きむち)。講釈師の荒到夢形。
著書
[編集]- 東家夢助『はい、出前落語です―北の噺家=落語活動家の誕生』 草の根出版会、1986年8月、ISBN 978-4876480081、NDLJP:12438421。
脚注
[編集]- ^ a b 東家夢助『はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生』草の根出版会、1986年8月27日、10頁。ISBN 4-87648-008-7。
- ^ a b “出前落語の故東家夢助さんに感謝 函館で26日にお別れの会”. 北海道新聞電子版. (2018年5月23日) 2018年5月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 玉井亀鶴 (2018年5月26日). “社会人講談玉井亀鶴ブログ KIKAKU MEETING-Ⅱ”. 2019年9月8日閲覧。
- ^ 半澤孝平 (2016年3月29日). “荒到夢形さん熱演 観客くぎ付け”. 函館新聞 2017年10月14日閲覧。
- ^ a b c d e f “落語家・東家夢助さん、人情に支えられ40年”. eHAKODATE.com. (2006年1月1日) 2017年10月25日閲覧。
- ^ 東家夢助『はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生』草の根出版会、1986年8月27日、18頁。ISBN 4-87648-008-7。
- ^ 東家夢助『はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生』草の根出版会、1986年8月27日、39頁。ISBN 4-87648-008-7。
- ^ a b c d “東家夢助プロフィール”. 2017年10月25日閲覧。
- ^ 東家夢助『はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生』草の根出版会、1986年8月27日、57頁。ISBN 4-87648-008-7。
- ^ 東家夢助『はい、出前落語です 北の噺家=落語活動家の誕生』草の根出版会、1986年8月27日、150頁。ISBN 4-87648-008-7。
- ^ センター長・池田 (2018年5月29日). “夢助さん、ありがとう!!”. お知らせ. 函館市青年センター. 2023年10月28日閲覧。
- ^ 野口賢清 (2017年9月17日). “話術の腕前を披露 全国落語大学始まる”. 函館新聞 2017年10月14日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]以下、一門が開催・出演する落語会である。