東政勝
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正18年(1590年) |
別名 | 中務 |
主君 | 南部晴政→晴継→信直 |
氏族 | 東氏 |
父母 | 東政重 |
兄弟 | 三政、政勝 |
子 | 重康 |
東 政勝(ひがし まさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。中務。
生涯
[編集]東政重の子として誕生。
弘治2年(1556年)に東氏の家督を継ぐ。永禄10年(1567年)に櫛引氏と共に八戸政栄の根城を攻める。一時的に占領したがその後撃退され、八戸氏家臣の作田相模守を通じて八戸氏に謝罪した。元亀2年(1571年)に政栄が櫛引氏を攻めた際には後詰として櫛引方に付くが、またも敗れる。
南部晴政と信直の諍いでは晴政を支持。信直支持派の北氏を、晴政や八戸氏・四戸氏らと共に攻撃した。この争いは信直が田子に退き終結している。天正10年(1582年)、晴政が没し、子の晴継も急死した為、南部氏一族が集まり後継者会議が開かれた。政勝らは晴政の娘婿の九戸実親を支持するが、信直派の北信愛の工作によって信直が南部氏の当主となった。一貫して反信直派であった政勝だが、信直が南部氏当主となった為に時勢を読み、信直派に転向した。一説には天正9年(1581年)頃に信直派に内通して、信直と共に晴政父子を謀殺したともいう。