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東福寺 (国分寺市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東福寺
所在地 東京都国分寺市西恋ヶ窪1-39-5
山号 武野山
院号 広源院
宗派 真言宗豊山派
本尊 大日如来
創建年 鎌倉時代初期
中興年 享禄元年(1528年)【第1次】、元和7年(1621年)【第2次】、享保10年(1725年)【第3次】
札所等 多摩八十八ヶ所霊場28番札所
公式サイト 【東福寺 公式】国分寺市恋ヶ窪のお寺
法人番号 1012405000358 ウィキデータを編集
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東福寺(とうふくじ)は、東京都国分寺市にある真言宗豊山派寺院

歴史

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鎌倉時代初期に開山された。その後も寺勢の起伏は激しく、1528年享禄元年)、1621年元和7年)、1725年享保10年)と再興を繰り返している[1][2]

本尊大日如来であるが、秘仏となっている。鎌倉時代に製作されたものといわれている[1]

夙妻太夫の悲話

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当寺には、鎌倉御家人畠山重忠遊女の夙妻太夫の悲話が伝わっている。遊女で絶世の美女である夙妻太夫は、彼女のところに通い詰める畠山重忠と次第に深い仲になっていた。畠山重忠は平家追討のため西国に赴くことになり、夙妻太夫は重忠を待ち続けていた。ところが夙妻太夫に横恋慕していた男が「重忠は壇ノ浦で死んだ」と嘘をついた。夙妻太夫は悲嘆のあまり、姿見の池に投身自殺してしまった。村人たちは夙妻太夫を哀れに感じ、墓の側にの木を植えて「傾城[3]の松」と名付けた。するとその松は、西へ西へと伸び、葉も一葉だけしか付いていなかったという。そのため、この松は別名「一葉松」ともいう。現在の松は三代目になる[1]

現在、当寺は地名が「ヶ窪」であること、夙妻太夫の悲が伝えられていることから、境内に「恋の鐘」を設け、恋のパワースポットとして積極的に宣伝し、専用のサイトまで設けている[4]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c 柴田博、相川浩子 著『武蔵野古寺巡礼(シバ巡礼シリーズ2)』シバ、1994年、44-47p
  2. ^ 東福寺について東福寺
  3. ^ 遊女のこと
  4. ^ 恋の鐘東福寺

参考文献

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  • 柴田博、相川浩子 著『武蔵野古寺巡礼(シバ巡礼シリーズ2)』シバ、1994年

外部リンク

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