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東福寺 (渋谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東福寺

東福寺
(平成27年5月3日撮影)
所在地 東京都渋谷区渋谷三丁目5番地8号
位置 北緯35度39分28.18秒 東経139度42分23.60秒 / 北緯35.6578278度 東経139.7065556度 / 35.6578278; 139.7065556座標: 北緯35度39分28.18秒 東経139度42分23.60秒 / 北緯35.6578278度 東経139.7065556度 / 35.6578278; 139.7065556
山号 渋谷山
宗旨 天台宗[1]
本尊 阿弥陀如来兜建観音
創建年 承安3年(1173年)
開山 円鎮僧正[1]
正式名 渋谷山親王院東福寺
文化財 木造薬師如来坐像(区指定有形文化財)
銅造菩薩立像(区指定有形文化財)
木造不動明王立像(区指定有形文化財)
梵鐘(区指定有形文化財)
法人番号 7011005000449 ウィキデータを編集
東福寺 (渋谷区)の位置(東京都区部内)
東福寺 (渋谷区)
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東福寺(とうふくじ)は、東京都渋谷区渋谷三丁目5番8号にある、天台宗の寺院。山号は渋谷山(しぶやさん)[2]

沿革

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  • 1046年(永承) – 1068年(治暦年間)武蔵豪族・河崎基家、谷盛庄渋谷郷(現在地)に八幡宮を勧請。別当寺・親王院を建立。
  • 1070年(延久2年) – 円鎮生れる。
  • 1091年(寛治5年) – 源義家、金王八幡社を修理す。
  • 1092年(寛治6年) – 義家、平将門の乱のとき源経基が宿泊した宿所を一寺とし親王院と称す。
  • 1141年(永治元年) – 渋谷重家、子のなきを憂い八幡宮へ祈願し、8月15日、金王丸生まる。
  • 1156年(保元元年) – 保元の乱、渋谷金王丸、源義朝の先陣にて戦功をあぐ。金王丸の守護仏観音菩薩が軍卒に化現し守護し給うという。
  • 1173年(承安3年)5月15日 – 円鎮、堂宇を整う。よって円鎮を当寺開山とす。
  • 1181年(養和元年) – 開山・円鎮示寂す(111歳)。
  • 1191年(建久2年) – 頼朝、金王八幡宮を建立。鶴谷山と名付く[1]
  • 1202年(建仁2年) – 渋谷高重、住持円證に帰依し新たに伽藍を建立。渋谷山常照院円證寺と改む。
  • 1500年(明応9年) – 村岡五郎左衛門重義が『金王八幡神社社記』を記す。
  • 1524年(大永4年) – 北条上杉の合戦により、当寺及び八幡社焼失。
  • 1615年(元和元年) – 大坂夏の陣。10月、青山忠俊八幡社・当寺を造営。
  • 1690年(元禄3年) – 東福寺より作事願いが提出され、社殿・堂宇建立。
  • 1704年(宝永元年) – 第三十七世・慧順によって梵鐘が鋳造され、鐘楼堂建立され寺要整う。
  • 1746年(延享3年) – 東福寺門前(表間口30間3尺)町奉行支配となる。俗に金王門前とよぶ。
  • 1751年-1763年(宝暦年間) – 信州上田藩主松平伊賀守忠順、八幡社、当寺の社殿、堂宇を修復する。
  • 1769年(明和6年)6月 – 八幡社に初めて冠木門(かぶきもん)を新築する。
  • 1801年(享和元年)6月 – 丹波篠山城主・青山忠裕が金150両を寄附して八幡社、当寺を修復する。
  • 1804年-1817年(文化年間) – 太白堂門人山奴社中により芭蕉句碑が境内に建立される。
  • 1840年(天保11年) – 寺運衰退し、社殿、堂宇の荒廃いちじるしく、第四十五世・舜教、鈴木雅可の助力を得て浄財を集め、八幡社、当寺を修復。
  • 1868年(慶応4年) – 江戸幕府の崩壊。
  • 1877年(明治10年) – 『寺院明細簿』を提出。宝泉寺住職・渡辺智徳が兼務す。
  • 1917年(大正6年)12月17日 – 第五十一世・宗円によって当寺の本堂落慶。
  • 1923年(大正12年)9月1日 – 関東大震災。当寺も罹災。直ちに修復す。
  • 1945年(昭和20年)3-5月 – 空襲。渋谷区内の寺社のほとんどが壊滅状態に陥るが当寺は無事。
  • 1984年(昭和59年)11月27日 – 落慶法要[3]

文化財

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梵鐘(区指定有形文化財[4]、昭和51年3月26日指定) 木造薬師如来坐像(区指定有形文化財、平成20年2月28日指定) 銅造菩薩立像(善光寺式阿弥陀如来脇侍像)(区指定有形文化財、平成20年2月28日指定) 木造不動明王立像(区指定有形文化財、平成26年11月4日指定)

歴代略譜

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  • 開山 円鎮 養和元年2月7日示寂
  • 二世 承鎮 文治5年12月1日示寂
  • 三世 永鎮 建久6年3月6日示寂
  • 四世 永海 正治元年10月25日示寂
  • 五世 公謹 承元3年1月16日示寂
  • 六世 円證 建保6年8月9日示寂
  • 七世 光珍 建保4年10月7日示寂
  • 八世 覚弁 元仁元年2月13日示寂
  • 九世 忠弁 仁治3年9月29日示寂
  • 十世 忠海 仁治3年4月3日示寂
  • 十一世 邦恵 康元元年11月8日示寂
  • 十二世 恵城 文永9年8月27日示寂
  • 十三世 恵運 弘安10年5月11日示寂
  • 十四世 良運 弘安5年7月3日示寂
  • 十五世 良源 永仁2年2月20日示寂
  • 十六世 智隆 正和3年6月12日示寂
  • 十七世 智慶 正和元年4月26日示寂
  • 十八世 学慶 正中2年10月17日示寂
  • 十九世 公順 元弘元年12月26日示寂
  • 二十世 能證 康永3年1月23日示寂
  • 二十一世 季澄 貞和4年3月15日示寂
  • 二十二世 尊緑 於信州逝去
  • 二十三世 禅隆 長禄2年1月28日示寂
  • 二十四世 甲見 未知死所
  • 二十五世 栄山 未知死所
  • 二十六世 蓮心 未知死所
  • 二十七世 観政 天正10年10月於信州逝去
  • 二十八世 眞成 未知死所
  • 二十九世 秀円 慶長15年8月21日示寂
  • 三十世 慶順 寛永18年9月18日示寂
  • 三十一世 尊慶 天和元年6月2日示寂
  • 三十二世 尊忠 天和3年11月5日示寂
  • 三十三世 円雄 延宝4年3月15日示寂
  • 三十四世 晋海 貞享4年4月29日示寂
  • 三十五世 順海 貞享2年12月10日示寂
  • 三十六世 寛光 元禄5年9月6日示寂
  • 三十七世 慧順 宝永3年5月8日示寂
  • 三十八世 栄範 享保17年8月3日示寂
  • 三十九世 栄傳 安永2年1月10日示寂
  • 四十世 栄珠 寛政元年6月14日示寂
  • 四十一世 義龍 文化6年11月27日示寂
  • 四十二世 栄州 文化4年示寂
  • 四十三世 賢道 未知死所
  • 四十四世 観典 文化10年10月26日示寂
  • 四十五世 舜教 未知死所
  • 四十六世 栄癒 未知死所
  • 四十七世 祐眞 弘化4年2月25日示寂
  • 四十八世 静祐 未知死所
  • 四十九世 舜栄 慶応2年6月10日示寂
  • 五十世 亮光 品川常行寺にて逝去
  • 五十一世 宗円 正和3年8月8日示寂
  • 五十二世 宗諦 正和35年1月9日示寂
  • 五十三世 宗純

交通

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 中豊沢村.
  2. ^ 樋口清之,田村善次郎共編『渋谷の歴史 : 渋谷昔ばなし』渋谷氷川神社、1954年11月、304頁。 
  3. ^ 清水宗純監修『渋谷山東福寺誌』東福寺略年譜、渋谷山親王院東福寺発行、1985年(昭和60年)7月吉日、平成27年5月2日閲覧
  4. ^ 佐藤昇『渋谷区史跡散歩』学生社、1992年6月10日、127頁。ISBN 4311419635 

参考文献

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  • 樋口清之田村善次郎編著者『渋谷の歴史・渋谷昔ばなし』渋谷氷川神社発行、1954年(昭和29年)11月15日。「東福寺の庚申塚」83頁、「東福寺の鐘銘」98頁、「東福寺」287頁、平成27年5月2日閲覧。
  • 清水宗純監修『渋谷山東福寺誌』渋谷山親王院東福寺発行、1985年(昭和60年)7月吉日、平成27年5月2日閲覧。
  • 「中豊沢村 東福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ10豊島郡ノ2。NDLJP:763976/86 

関連項目

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付近

外部リンク

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