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東福洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とうふく ひろし

東福 洋
生誕 函館市
死因 腎不全
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治大学文学部
職業 幻洋社代表取締役
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東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月17日)は、雑誌編集者、実業家。地元である函館市を中心に、北海道にまつわる書籍・雑誌を出版した。

経歴

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  • 1934年(昭和9年) - 函館市で生まれる。
  • ?年 - 函館西高校に入学。
  • ?年 - 明治大学文学部に入学。
  • ?年 - 雑誌社に就職。
  • ?年 - 通販会社に就職。編集部門で手芸、料理の雑誌編集に携わり、編集長に10年携わる[1]
  • 1986年2月 - 函館市に里帰りし、函館市元町に幻洋社を設立[2]
  • 1988年(昭和63年) - 幻洋社にて「啄木と函館」(阿部たつを著、桜井健治編)出版[3]
  • 1991年(平成3年) - 幻洋社にて地域情報誌「はこだでぃ (Hakodadi)」創刊号発行。
  • 2008年(平成20年) - 腎不全のため、74歳で死去[3]

人物

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幼少期は、地方回りで家にあまりおらず、母も家業で忙しく、祖父母と過ごす時間が多かった。函館西高校から明治大学文学部卒。父に大学進学に反対され、学生時代はアルバイトに明け暮れていたが、女子高校の教師をしていた伯母が学費を援助してくれていた。東京で編集社に入社し、料理の雑誌編集に携わり、編集長を10年ほど務めた。その後、50歳ころ、函館に戻り、当時、函館唯一の出版社である1986年2月に幻洋社を設立[1]。設立してから数年後、ラジオ番組で「地方の生きのいい、ぴちぴちとしたテーマをもとに、いい本づくりが私たちの手で生まれてもいい」と意気込みを語っていた[3]。その後、様々な単行本などを出版し、亡くなる3年前まで出版を続け、2008年に腎不全で死去。

主な刊行雑誌

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脚注

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  1. ^ a b 岩淵啓介「生きる――東福洋さん(出版・幻洋社 社長)―故郷で目指す「いつか文学書を」」『北海道新聞』1994年4月7日付夕刊。
  2. ^ 寺町「人――タウン誌「はこだでぃ」編集長 東福洋さん」『北海道新聞』1994年6月8日付夕刊、道南版、6版、第7面。
  3. ^ a b c 山本泰人「故郷への思い 書物に残し・・・――「森町史」編さん 郷土史家 小井田武さん死去 88歳――幻洋社社長 東福洋さんも 74歳 函館の視点で出版」『北海道新聞』2008年10月3日付朝刊、道南版、第25面。

関連項目

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