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東芝ベックマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東芝ベックマン株式会社
Toshiba Beckman CO., LTD.
種類 株式会社
略称 トウシバベックマン
本社所在地 日本の旗 日本
108-0014
東京都港区5-33-7 徳栄ビル7F
設立 1970年
廃止 1977年
業種 電気機器
事業内容 計測機器・超遠心機・電子部品の製造販売
代表者 山口 襄(のぼる)[1][2]
資本金 3億
従業員数 約450人
主要株主 株式市場 東芝50.% ベックマン・インスツルメンツ50.%
主要子会社 ベック科学(横浜市)、北関東ベック科学(高崎)
特記事項:出資企業:スタンダードテクノロジー[3]
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東芝ベックマン株式会社(とうしばベックマン)は、1970年代に、東芝のグループ企業として、米国のベックマン・インスツルメンツとの合弁企業として設立し、東京都に本社を置いて計測機器超遠心機・精密型/可変抵抗器(ボリューム)、比重計の製造を手掛けていた日本の企業である。1977年に、ベックマン・インスツルメンツが資本撤退し、休眠会社となった。

社名・社是・理念

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日本の公害対策に寄与していくという経営理念として、「米国のベックマン・インスツルメンツ社の高品質・高信頼性な計測機器」をモットーにし、国内で計測機器を基調に、超遠心機・精密型/可変抵抗器(ボリューム) の生産・販売を1970年頃に開始した。100%を日本国内で販売して計測機器のブランド“ベックマン”として知られた。営業売上げの主力製品は自動車排ガス測定装置「カーレックス」であった。

概要

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東芝ベックマン設立当時の1965年(昭和40年)代は、新潟水俣病、イタイイタイ病の富山県神通川のカドミュウム水質汚染、水俣湾の水銀汚染。四日市ぜんそくや急増する自動車の排気ガスによる市谷柳町に代表される大気汚染。カネミ食用油汚染、粉ミルクへのヒ素汚染など、人体に有害な公害の真っ只中にあった。また、都市部への人口集中に伴い河川への生活排水や、下水処理場の汚濁や、タンカーなどの造船所や、インフラ整備に伴い下水道工事現場などで多発する酸欠事故が、続発していた。そうしたの時代背景で設立された企業である。

品質保証(QA)を基本とし、製造部検査課とか試験課はなく、本社にサービス部品質保証課が置かれていた。製品の信頼性を重視し、試作品には環境温度サークル試験。完成した製品が規定の品質を満たしているか性能試験や外観検査に加えて、JIS規格に基づき、電圧変動・衝撃や絶縁耐圧などの試験のほか、納品後のアフターフォローを含み行っていた。また、米国のPL法に基づき、お客様の安全のために、いち早く日本語PLラベルを商品に張り付けを行ってた。QC(品質管理)運動に深く関わり1963年度デミング賞受賞の社長[4]による斬新な経営方針によるものである。

歴史

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東芝府中工場 計測事業部

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  • 高度成長期には石油化学コンビナートや原子力発電所の建設に伴い、海外からプロセスガス計測機器が導入されたが、計測事業部ではこれらの機器の保守を行っていた。また、ベックマン・インスツルメンツ社の計測機器を組み込んだ自動車排ガス測定装置を製造していた。

コロンビア貿易株式会社

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国内では標準的に使用されていたベックマン・インスツルメンツの製品の輸入業務を担っていた。

  • 酸欠が予想される場所に入る事業者では、マンホールなど進入口からセンサーを垂らして、測定できる携帯式酸素計Beckman Model715 Process Oxygen Monitor[5]
  • 全国の日赤病院などの医療関係で未熟児の保育器施設の標準設備のベックマンの携帯型酸素計D2[6]
  • 都市ガス製造会社で、燃焼装置の評価のための精密測定標準機のベックマンの磁気式酸素計E2やG2[6]
  • 石油化学工場で、工業原料ガス中の酸素濃度を測定する防爆型のベックマンの磁気式酸素計F3[6]
  • 水質汚濁防止法に絡み、河川管理部署や上下水道施設で標準機のベックマンの全有機炭素測機器TOC915、及びBOD(溶存酸素量)の測定についてWinkler法[7]に代わる隔膜電極法による携帯式溶存酸素計1008。
  • 病理組織検査に公立病院や国立病院など必要なベックマンの真空式超遠心機や、血液検査にエンザイムを使用して血液検査を高速でできる臨床検査完全自動化分析装置DSA。また、1965年(昭和40年)代の肝機能検査で主流のセルローズアセテート膜を支持体とする電気泳動装置。
  • 試薬検査に代わり研究機関で使われ始めた(分光光度計[8]ガスクロマトグラフィーPHメーター)、フーリエ分光光度計、窒素酸化物計、水銀分析計とガスクロマトグラフィー、及び化粧品メーカー研究所で粉体等の体積を精密に測定する比重計、比色計。

東芝ベックマン設立後の経過

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ベックマン・インスツルメンツの製品の輸入と、東芝の計測事業部の事業を継承し、計測機器を基調に、超遠心機・精密型/可変抵抗器(ボリューム) 、比重計の国内での生産をした。

  • PHメーターや分光光度計に加えて、透析液製造メーカーや病院の透析治療施設において、透析液自体の含量測定および均一性評価に、または血清Na, Kを測定する炎光光度計[9]、透析液調製用水の水質基準確認等にも利用される原子吸光計の製造[10][11][12]
  • 1970年に米国で「マスキー法」が成立し、 自動車排出ガス規制が、始まった。アメリカに自動車を輸出しているトヨタ、ホンダなどの企業が、挙ってEPA適合エンジン開発にしのぎを削っていた。適合エンジンの生産ラインの増設に合わせて、堀場製作所島津製作所柳本製作所と並んで、自動車排ガス測定装置を製造していた。
高精度を満たす検出器の選別、さらに劣化、意図しない配管などへのコンタミネーションの現場対応が、課題であった。当時の「保証期間内は、無償修理」の因習、経験、勘等に拠る不合理的な手法商習慣[1]に阻まれており、保守契約の締結には至らなかった。
  • 炭化水素(HC) は、水素炎イオン化検出法(FID 法)で全炭化水素(THC)として測定するが、ディーゼルエンジンの場合には、191 ℃の加熱ラインと加熱型分析部が必要である。前処理装置とHC成分の分析部を適切に組み合わせた計測システム[13]として、ベックマンから実績評価のあったFIAを輸入して、大型のトラック・バス(重量車)等、ディーゼルエンジン大型車製造会社に、納入された。
  • 大気汚染防止に関する法律の制定により、工場より排気される窒素酸化物の規制が始まった。NOx 計測には、NO とO3 の反応による発光を検出する化学発光(ケミルミネッセンス)という化学反応[13]によって高エネルギー状態(励起状態)の分子が生成されて、これが光としてエネルギーを放出する現象を利用した計測機器を、ベックマン・インスツルメンツが世界市場に送りだした。
これを百メートル煙突に象徴される電力会社との取引実績を踏まえて、生産計画の実行面でリスクマネジメントを十分備える日本碍子が、開発チームとして特電課を立ち上げて、火力発電所での前処理装置の能力や安全性を実証実験を含めた適切な総合的な試験を行い、セラミック素子で不純物質を取り除く前処理装置(サンプリング装置)を完成させた。これにより、電力供給が急増する火力発電所での1年24時間体制で、951を使用した燃焼制御を安定的にできるようになった。これをきっかけにして、一気に大気中への窒素酸化物の放出が抑えられた。
  • 米国で量産化が始まったベックマン・インスツルメンツの液晶ディスプレイや抵抗ネットワークなどの電子部品をいち早く輸入し、腕時計などの表示が、アナログから液晶化した。
  • 1973年(昭和48年)に法律が改訂されて、光化学スモッグの深刻化に伴い、600万台に及ぶ軽自動車を含めて使用過程車の排気ガス検査の1973年(昭和48年)末までにすることが義務化された。先行していたベックマン・インスツルメンツからCO HC自動車排気ガステスターを自動車整備検査用機器として輸入し、社団法人自動車機械工具協会の性能試験を経て、施行を補った。
  • 1977年に、本社が自動車排ガス測定装置の製造に主軸を置くことに対して、検出器を提供していたベックマン・インスツルメンツの経営方針の変更に伴い、資本撤退し、休眠会社となった。
    • 製造部・サービス部門を東芝計測事業部に継承し、臨床検査機器部門を医用機器事業部に譲渡[注釈 1]。スタンダードテクノロジー[注釈 2]の株をベックマンジャパンに譲渡。

事業所

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  • 武蔵工場[14]
    1970年から1977年まで東京都府中市武蔵台1丁目3番地に所在した工場は、JR武蔵野線府中街道)沿いにあった。土地、建物は解体された。現在はSANKEILOG府中の流通倉庫となっている。
  • 札幌営業所
  • 仙台営業所
  • 名古屋営業所
  • 大阪営業所
  • 広島営業所
  • 福岡営業所

ブランド

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東芝ベックマンの製造した商品は、次のブランドで販売された。

  • Beckman : 計測機器
  • Spinco[15] : 超遠心機
  • Helipot[16]: ポテンショメータ(巻線抵抗製品の固定・可変抵抗器)
  • BI(Beckman Instruments, Inc) : 半固定抵抗器(トリマポテンショメータ)、及び厚膜/薄膜印刷抵抗ネットワーク[17]

その他

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カルフォルニアのレモン産業では、輸送中に痛むことから、水素イオン指数の管理が、問題になった。それを解決するために、pH指示薬(pHインジケーター)やリトマス試験紙に代わり、1936年頃にベックマンの創始者のアーノルド・ベックマンは、 pHメーターを開発したのが、始まりである。後に造られた米国製の工業用磁気式酸素濃度計測機器には、アーノルド・ベックマンの刻印がされていた。

  • 1977年にベックマンジャパン株式会社(東京都港区西新橋2丁目21-2第1南桜ビル[18])が、設立された[3]
  • 1998年にベックマン・コールター株式会社(東京都江東区有明3-5-7TOC有明ウエストタワー13F)が、設立された[19]
  • 2000年にBI Technologiesは、英国TT ELECTRONICS Grp傘下になる[20]
  • ポテンションメータのビーアイテクノロジージャパン株式会社が、設立され[21]2013年に TTエレクトロニクスジャパン株式会社に社名変更した[22]

脚注

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  1. ^ a b 山口 襄氏を悼む”. © 日本オペレーションズ・リサーチ学会 (2002年9月29日). 2024年11月2日閲覧。
  2. ^ 漢字一字” (pdf). 漢字ペディア. 2024年11月2日閲覧。
  3. ^ a b 沿革”. 株式会社堀場エステック. 2024年11月2日閲覧。
  4. ^ デミング賞受賞者一覧” (pdf). 日本科学技術連盟 (2023年2月1日). 2024年11月2日閲覧。
  5. ^ 研究ノート 各種果皮面処理が夏ミカンの果実内酸素濃度、エタノール含量、フレーバーに及ぼす影響”. 「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE) (1971年7月28日). 2024年11月7日閲覧。
  6. ^ a b c 気中酸素濃度の測定法(2)-安全工学Vol.6 No.2”. 「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE) (1967年). 2024年11月7日閲覧。
  7. ^ 溶存酸素の測定法について-水産増殖Vol.V No.1”. 「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE) (1967年). 2024年11月7日閲覧。
  8. ^ 溶存酸素の簡易比色定量法-水産増殖Vol.8 No.1”. 「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE) (1960年). 2024年11月7日閲覧。
  9. ^ 血液透析中の慢性腎不全患者におけるアルドステロン分泌に関する因子の検討”. 人工透析学会 (1960年). 2024年11月8日閲覧。
  10. ^ 透析液専用の自動校正および測定モードを有する電極法電解質計測機器”. IFI CLAIMS Patent Services (1960年). 2024年11月8日閲覧。
  11. ^ 血中ガス分析装置による透析成分濃度測定性能評価” (pdf). No.32-医療法人おおうみクリニック (2018年). 2024年11月8日閲覧。
  12. ^ 炎光光度計について” (pdf). 「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE) (1963年9月9日). 2024年11月8日閲覧。
  13. ^ a b 5-4 自動車排出ガス計測器”. 一般社団法人 日本電気計測器工業会. 2024年11月8日閲覧。
  14. ^ 東京都計量器コンサルタント協会年表” (pdf). 東京都計量器コンサルタント協会. 2024年11月2日閲覧。
  15. ^ ベックマン遠心機・70年を超える革新の歴史”. ベックマン・コールター株式会社. 2024年11月2日閲覧。
  16. ^ Helical Potentiometer (Helipot)”. Arnold and Mabel Beckman Foundation. 2024年11月2日閲覧。
  17. ^ TTエレクトロニクス TT Electronics”. 株式会社栄電子. 2024年11月2日閲覧。
  18. ^ 第1南櫻(第1南桜)ビル”. オフィスナビ. 2024年11月2日閲覧。
  19. ^ 求人情報ベックマン・コールター株式会社”. doda. 2024年11月2日閲覧。
  20. ^ BI TechnologiesとTT Electronics Grp.のご紹介”. 国栄通商株式会社. 2024年11月2日閲覧。
  21. ^ BECKMANの企業”. 国栄通商株式会社. 2024年11月2日閲覧。
  22. ^ 社名変更のお知らせ”. ビ―アイ・テクノロジ―ジャパン株式会社. 2024年11月2日閲覧。

注釈

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  1. ^ 2018年1月4日より、東芝メディカルシステムズ株式会社からキヤノンメディカルシステムズ株式会社へ社名を変更した。
  2. ^ 2004年7月株式会社堀場エステックに社名変更した。

出典

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関連項目

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外部リンク

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