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東郷実猗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
東郷 実猗
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代中期
生誕 天保5年12月19日1835年1月17日
死没 明治20年(1887年8月23日
改名 幼名→勝熊、神熊、:実猗→重猗
別名 通称:四郎兵衛
幕府 江戸幕府
薩摩藩
氏族 東郷重弘次男・重友東郷氏7代目当主
父母 父:東郷実友、母:益子(堀与三左衛門の三女)
兄弟 実猗、女、祐之進、小倉壮九郎平八郎実武
吉太郎、嶽彦、吉四郎、内田キチ
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東郷 実猗(とうごう さねなが)は、幕末薩摩藩士東郷平八郎の兄。一般的には通称の四郎兵衛で知られる。は明治時代に重猗に改名。

経歴

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天保5年(1834年)12月19日、東郷実友の長男として鹿児島城下の加治屋町(現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町)で誕生。元服後、家老座書役を勤める。野村彦兵衛の門人となり、砲術萩野流皆伝。宗旨は禅宗のち日蓮宗。また、陽明学者の伊東祐之に師事する。文久2年(1862年)、父や弟たちと薩英戦争に参加。

明治10年(1877年)、西南戦争では弟の小倉壮九郎や親戚で水野流居合の師範の篠崎七郎左衛門とともに大小荷駄隊(補給部隊)として薩軍に参加し負傷。高齢の為、官軍から処罰されなかった。明治年間に日当山(現在の鹿児島県霧島市隼人町)に移る。

明治20年(1887年)8月23日、死去。

家族・親族

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参考文献

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