杷木町
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(杷木村から転送)
はきまち 杷木町 | |||||
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廃止日 | 2006年3月20日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 甘木市、朝倉郡朝倉町、杷木町 → 朝倉市 | ||||
現在の自治体 | 朝倉市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 朝倉郡 | ||||
市町村コード | 40441-1 | ||||
面積 | 44.98 km2 | ||||
総人口 |
8,155人 (国勢調査、2005年) | ||||
隣接自治体 | 甘木市、うきは市、朝倉郡朝倉町、東峰村、大分県日田市 | ||||
町の木 | イチョウ | ||||
町の花 | ヒマワリ | ||||
町の鳥 | コジュケイ | ||||
杷木町役場 | |||||
所在地 |
〒838-1592 福岡県朝倉郡杷木町池田483番1号 | ||||
座標 | 北緯33度21分50秒 東経130度48分50秒 / 北緯33.36383度 東経130.81383度座標: 北緯33度21分50秒 東経130度48分50秒 / 北緯33.36383度 東経130.81383度 | ||||
ウィキプロジェクト |
杷木町(はきまち)は、福岡県の中南部に位置していた町で、朝倉郡に属していた。旧上座郡。
2006年3月20日、隣接する甘木市・朝倉町と対等合併し、朝倉市(あさくらし)となった。
地理
[編集]- 河川 : 筑後川
歴史
[編集]古代
[編集]『延喜式』巻廿二には、筑前国上座郡の地名として、杷木の地名が既に見られる。同じく、『延喜式』巻廿八兵部省には駅の設置された地名に杷伎の名で登場し、大宰府から豊後への駅の一つが設置されていたと考えられる。杷木町の中心部にある杷木神籠石は、筑後川にせり出した尾根上にあり、高良山神籠石を視認出来ることから、古代交通の拠点を防衛する神籠石式山城と考えられる。
中世
[編集]杷木町を囲む尾根上に多くの山城が築造される。杷木神籠石上に築造された長尾城・鵜ノ木城は、大友宗麟と秋月種実の衝突の中で、秋月氏の出城として用いられている。
近現代
[編集]- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い上座郡池田村、白木村、林田村、穂坂村が合併し杷木村が発足。他に松末村・久喜宮村・志波村が発足。
- 1896年4月1日 - 上座郡・下座郡・夜須郡が統合され朝倉郡となる。
- 1939年4月17日 - 町制施行し、杷木村が杷木町となる。
- 1951年4月1日 - 杷木町・松末村・久喜宮村・志波村が合併し、杷木町を新設。
- 1957年4月1日 - 朝倉郡朝倉村、浮羽郡吉井町と境界の一部を変更。
- 2006年3月20日 - 甘木市、朝倉町と合併し、朝倉市となり消滅。
行政
[編集]- 町長 : 師岡幹治(最終代)
経済
[編集]産業
[編集]- 農業を中心とするが、町の南西部にある原鶴温泉に代表される観光業も盛んである。
- 道路交通の便を活かし、町の南東部に林田工業団地が造成された。
地域
[編集]教育
[編集]保育所・幼稚園
[編集]- 杷木町立杷木保育所
- 杷木町立久喜宮保育所
- 杷木町立志波保育所
- 杷木町立松末保育所
- 杷木東幼稚園(私立)
小学校
[編集]- 杷木町立杷木小学校
- 杷木町立久喜宮小学校
- 杷木町立志波小学校
- 杷木町立松末小学校
中学校
[編集]- 杷木町立杷木中学校
高等学校
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道路線はないが、町の中心部に近い場所には久大本線の筑後大石駅がある。
バス路線
[編集]町の中心部にある杷木バスターミナル(西鉄バス両筑杷木支社)から発着する。バスターミナルと杷木インターチェンジが近接しているため、高速バスは一度高速道路を出てバスターミナルに立ち寄る。
一般路線バス
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 一般国道
- 主要地方道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]観光スポット
[編集]史跡
[編集]祭事
[編集]参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。