松下しん
まつした しん 松下 しん | |
---|---|
生誕 |
1904年3月30日 仙台市 |
死没 |
2019年8月27日(115歳没) 仙台市青葉区 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 東北地方最高齢者 |
宗教 | キリスト教 |
子供 | 3人 |
松下 しん(まつした しん[1]、1904年3月30日 - 2019年8月27日)は、宮城県仙台市在住の日本の長寿の女性(スーパーセンテナリアン)。2013年以降仙台市内最高齢者、[2]、2016年からは宮城県内最高齢者[3]となっており、死去時には東北地方で最高齢[1]の人物であった。
経歴
[編集]1904年(明治37年)3月30日[3]、仙台市に生まれる[4]。仙台や石巻の郵便局で電話交換手として働き[4][5]、1931年(昭和6年)に結婚[5]。夫は塗装業を営んでいた[5]。60歳の頃から約30年間、キリスト教関連の書籍を点訳するボランティアを行っていた[4][6]。また趣味は書道であったという[4]。
3人の娘がおり、晩年は仙台市青葉区で三女夫婦と47年間暮らした[4]。2018年の時点で孫が7人、曽孫は8人いた[7]。キリスト教を信仰し[8]、毎日『アパ・ルーム』を愛読していた[9]。 食事は毎日3食とっており[9]、よくかんで食べることとストレスをためないことが長寿の理由だと述べていた[7]。食べ物は何でも好きだが[4]、好物はブドウなどの果物だという[8][6]。また花はコスモスとツバキが好きだと述べていた[8]。
2011年9月19日(敬老の日)、仙台市長奥山恵美子が自宅を訪問し長寿を祝った。松下は当時107歳でありながら眼鏡をかけずに文字を読むことができ、読書や手紙を読むことが楽しみだと述べていた[4]。2014年の敬老の日(9月17日)にも奥山が訪問し、記念品として玉虫塗を贈呈している[5]。
2017年の敬老の日(9月18日)には、仙台市長郡和子が訪問し記念品を贈呈した。当時113歳の松下は三女(当時72歳)助けを借りながら市長と会話した。松下は移動の際には車椅子が必要だが、食事は介助を受けずにとることができた。また滋賀県に暮らす長女(当時84歳)から毎週届く絵葉書を読むのが楽しみだという[8][6]。
翌2018年の敬老の日(9月19日)にも郡が訪問し、記念品として堤焼の大皿を贈呈している。当時114歳の松下は、耳は遠いものの目ははっきりと見え、文章を読み上げることもできた[7][10]。
2019年8月27日、自宅において死去[1]。115歳と150日。前日の夜までは普段通りに生活しており、早朝に息を引き取ったという[9]。葬儀は仙台青葉荘教会にて執り行われた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 「東北最高齢115歳/松下しんさん(まつした・しん=東北最高齢者)」『河北新報』2019年8月31日号、30面。
- ^ 「県内最高齢の110歳女性死亡=宮城」『読売新聞』2013年1月16日付朝刊、28面。
- ^ a b “松下しんさん 115歳=県内最高齢 /宮城”. 毎日新聞 (2019年9月3日). 2022年7月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「読書楽しみ、何でも食べる/仙台・青葉区の107歳松下さん」『河北新報』2011年9月20日号。
- ^ a b c d 「年輪重ね、笑顔満開/「敬老の日」でお祝い/110歳松下さん、文通交流楽しむ/仙台最高齢」『河北新報』2014年9月17日号。
- ^ a b c 「県内最高齢松下さん 仙台市⻑が長寿祝福=宮城」『読売新聞』2017年9月19日付朝刊、25面。
- ^ a b c 「県内最高齢114歳 仙台の松下さん/長寿「3食よくかんで」/敬老の日 市長がお祝い」『河北新報』2018年9月18日号、12面。
- ^ a b c d 「元気で長生きしてね/敬老の⽇/◎県内最高齢祝う/仙台市長訪問/113歳 松下さん」『河北新報』2017年9月19日号、12面。
- ^ a b c 世界300万人が愛読するディボーション誌「アパ・ルーム」日本で70周年 クリスチャントゥデイ 2019年10月22日
- ^ 「114歳 娘の便り楽しみ 最高齢、仙台市長が祝福=宮城」『読売新聞』2018年9月18日付朝刊、31面。