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松久朋琳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松久 朋琳(まつひさ ほうりん、1901年(明治34年)10月22日 - 1987年(昭和62年)9月1日)は、仏師京都市生まれ[1]。本名は茂次[1]

略歴

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10歳より仏像彫刻をはじめ[1]、およそ70年余りの間仏像を彫り続けた。代表作は大阪四天王寺仁王像、京都鞍馬寺魔王尊像、奈良法華寺十一面観音御前立像。京都で活躍。佐賀県本福寺の本堂両脇の千手観音・地蔵菩薩も朋琳によって彫刻された。

晩年は京都仏像彫刻研究所を主宰、創作活動の傍ら仏像彫刻の普及に努めた。

1987年9月1日、腹部動脈瘤のため死去[1]

著書

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  • 「京仏師六十年」日貿出版社、1973年、新版1981年ほか
  • 「仏像彫刻のすすめ」日貿出版社、1973年、新版2016年ほか、ISBN 4817050314
  • 「仏像を彫る ある京仏師の回想」新人物往来社、1975年
  • 「京の絵暦 京仏師が語る〈明治・大正・昭和〉三代の風俗史」中外日報社、1981年
  • 「佛の聲を彫る 京佛師一代」日本教文社、1982年
  • 「一心一仏 京仏師独り語り」講談社、1985年
  • 「御手の上にて」日本教文社、1987年11月。遺著
共著

写真集・評伝

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  • 駒沢晃「大仏師松久朋琳・宗琳 人と作品」春秋社、1984年
  • 駒沢晃「一佛一会 大佛師松久朋琳の世界」日本教文社、1987年
  • 長尾三郎「日本人の魂を彫る 「夢の王国」をもとめた松久朋琳・宗琳の心の遍歴」講談社、1990年

脚注

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  1. ^ a b c d 松久朋琳 東京文化財研究所 2018年7月19日閲覧。

関連項目

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